中世の医学 Jacquart, "Anatomy, Physiology and Medical Theory"

The Cambridge History of Science: Volume 2, Medieval Science

The Cambridge History of Science: Volume 2, Medieval Science


 中世において医学は最初に復興された学問分野の一つであった。北イタリアではギリシア・ローマの学問を基礎にした医学の伝統が生き残っており、これが11世紀後半からのアラビア語からの最初の翻訳につながることになる。やがて医学は自然哲学の一部として大学のカリキュラムに組みこまれることとなった(学問区分のうちで医学が確かな場所を与えられるというのは、古代においては達成されていないことであった)。

 医学はおもに理論と実践の二つの要素からなると考えられていた。この区分はしばしばあいまいであり、なかでも解剖学が両極のどこを占めるかは不確かであった。中世において人体解剖が禁忌とされており、それが医学の発展をさまたげたという通念には注意が必要である。医学者たちは彼らが書物から得た知識が増大しはじめたのとほぼ同時に解剖をはじめていた。Mondino de' Luzziの『解剖学』(1316年)は古代以来はじめて実際の人体解剖に言及したという点で画期をなす(たとえ彼の学説自体は旧来のものを引き継いでいたとしても)。大学で人体解剖に関する最初の規則が定められたのはモンペリエにおいてであり、1340年のことであった。残された証拠は多くないものの、同時期ごろよりイタリアだけでなく、パリにおいても人体解剖が行われはじめていたと推察される(中世の解剖学を純粋にイタリアの現象とみなしてはいけない)。とはいえ中世において人体解剖はその素材の確保からしても、心理的障壁からしても容易なことではなかった。またその役割は古代より伝わる意見に対立がみられたときに、そのどちらが正しいかを確かめるといったものであった。そこには統一的な方法論はみられなかった。解剖劇場もなかった。それはルネサンスを待たねばならない。

 論考の後半部は医学理論の各論に当てられている。体液、精気、精気が運ぶ力(virtutes)、人体そのものではないが人体における健康と病気の状態に深く影響を与える非自然的な要素、病理学(体温をタッチによってしか測れないので、病気の強弱を区別するのが困難)が解説される。最後に医学における経験の役割が検討される。興味深いことに中世のたとえばヒポクラテス注解で現れる経験とは、薬を実地に使用して効果を確認すること、という意味で多くの場合用いられていたという。

 なるほど中世の医学は柔軟であるがゆえに強固な体液説に支配されていた。身体やそれを取りまく環境は刻々と変化し、それに経験的にアプローチする手段はかぎられていた。最も経験的であった解剖の分野もまた書物からとられた学説の確証という役割を出ていなかった。それでも中世医学は個別的な状況における個別的な症状を扱うという、自らの題材の特殊性を意識した営みであったと言える。

図像出典

Wellcome Imagesより(M0007580)。