マルキアの複合体論 Duba, "Souls after Vienne" #5

Psychology and the Other Disciplines: A Case of Cross-disciplinary Interaction (1250-1750) (History of Science and Medicine Library: Medieval and Early Modern Science, 19)

Psychology and the Other Disciplines: A Case of Cross-disciplinary Interaction (1250-1750) (History of Science and Medicine Library: Medieval and Early Modern Science, 19)

  • William Duba, "The Souls after Vienne: Franciscan Theologians' Views on the Plurality of Forms and the Plurality of Souls, ca. 1315-1330," in Psychology and Other Disciplines: A Case of Cross-Disciplinary Interaction (1250-1750), ed. Paul J.J.M. Bakker, Sander W. de Boer, and Cees Leijenhorst (Leiden: Brill, 2012), 171-272.

 Caraccioloに続いて1319年から20年にかけてパリ大学にて『命題集』講義を行ったのはマルキアのフランシスであった(211-224)。マルキアは理性的霊魂は身体の直接的形相だと考えた。その根拠は以下の通りである。人間は感覚する。感覚のためには身体が必要である。一方人間は理解する。理解には理性的霊魂が必要である。この理解により、人間は自分が感覚しているということをも理解する。ここから人間が一体のものとして機能していることが分かる。よって理性的霊魂は身体の直接的形相である。このことを認めたからといって、理性的霊魂が可滅的になることはない。なぜなら理性的霊魂はその存在を身体に依存していないので、身体が消滅しても残りうるからである。マルキアの議論に特徴的なのは、理性的霊魂の規定をその他の感覚的霊魂と栄養摂取霊魂にも拡張していく点である。これら三種類の霊魂はすべて延長をもっていない。よってこれらはあらかじめ延長を与えられた身体に結合しなくてはならない。このテーゼはアリストテレスによる霊魂の定義にも合致する。霊魂が身体の現実態であると彼がいうとき、この身体は当の霊魂とは独立に身体となっていなければならない。そうでなければ定義のなかに定義されるべきものが入っていることになる。よってマルキアが結論づけるに、すべての生き物のうちには、その霊魂とともに、身体性の形相(forma corporeitatis)がある。これら複数の形相はひとつの実体のうちにいかにしてあるか。マルキアは先行する形相は質料とともに独自の複合体をつくり、この複合体が今度は後にくる形相の質料になると論じた。

重要引用

したがって、それら形相は二重の地位(ordo)をもっていると私は主張する。すなわち配置(dispositio)としての地位と、終点(terminus)としての地位である。また完全にされうるという地位と、完全性という地位である。第一の形相は最終的な形相に向けて秩序づけられている。それは配置〔態勢〕が終点に向かって秩序づけられているようなものである。また完全にされうるものが、ないしは完全にされうる基体の原理が、その完成に向かって秩序づけられているようなものである。よって身体の形相は第一質料を霊魂に向けて配置する。同時に身体の形相は、霊魂の第一の直接的な基体となる原理であり、その霊魂に完全にされうるのである。それゆえこの霊魂自体が第一質料よりもむしろ身体の実体形相を完成させ形相づけていることになる。他の最終的な形相と先行する形相の関係も同じであると私は主張する。

〔…〕最終的形相でないすべての実体形相は絶対的な意味で可能態にある。ただし普遍的な意味で可能態にあるわけではない〔あらゆる意味で可能態にあるわけではない〕。このようなかたちで絶対的な意味で可能態にあるのは第一質料だけである。すなわち普遍的な意味ですべての形相、ないしは実態的現実態に向かっているのである。なぜなら第一質料はいかなる形相も有していないから。他方、最終的形相でない実体形相が可能態にあるのは、なんらかの特定の実体形相に向けてであるという意味においてのみである。