霊魂による個体化 Scaliger, Exotericae Exercitationes, ex. 307, sec. 17

  • Julius Caesar Scaliger, Exotericae Exercitationes (Paris, 1557), 401v-402r (ex. 307, sec. 17).

 個体の問題を扱うのは第一哲学者〔形而上学者〕の仕事と思われるかもしれない。だがこの問題は霊魂をめぐる議論に深く関係している。理由はすぐに判明するだろう。

 個体というのは、それがそれであるところのものに、それがそれによってそれになるところのものによってならねばならない。人間の場合、人間が人間になるのは、人間がそれによって人間になるところのものであり、このものとは霊魂である。よって人間は霊魂によって個体となる。よって霊魂が個体の原理であり、粗野な言葉使いでは、霊魂が個体化individuatioを起こすという。

 個体が霊魂によってではなく質料によって個別化されるとするとどうなるか。とのとき、この霊魂とあの霊魂とが区別できないことになる。これにたいして、いや霊魂と霊魂とは数において区別されているのだという反論がなされるかもしれない。だがこれはまずい議論である。というのも数というのは、個別のものが存在してはじめて数えあげられるようになるのだから。つまり数えられるといった時点で霊魂は一つのものとして個体化されていて、これが個体化の原理となってしまうのではないか。

 これを避けてなお質料が個別化し、そのうえであの霊魂とこの霊魂は異なるというにはどうすればいいのだろうか。一つの考え方は、たとえばカトーの霊魂とカエサルの霊魂は両方ともなにか普遍的な霊魂の一部であるとすることだ。このとき人間の霊魂は質料の区切られ方のみによって別々のものとして数えあげられることになる。しかしこうするとすべての人間は一つの霊魂を共有するので、すべての人間は一人の人間になってしまう。同じことであるが、人間相互の違いは質料の違いという付帯的な要因でしか生じなくなるので、結局人間相互は本質的に同じになってしまう。よってあの霊魂とこの霊魂が区別できない。

 より精妙な者たち〔スコトゥス〕は、内的な原理(principium internum)によって個体化を説明しようとしている。だがこの議論も、結局は個体化をそもそも説明できないか、暗黙のうちに霊魂による個体化を前提としているかのどちらかである。