プロテスタント形而上学とスカリゲル Jensen, "Protestant Rivalry in Germany"

 1500年代の最後の10年間と、1600年代の最初の20年のあいだに、ドイツのプロテスタント系大学のカリキュラムにアリストテレス形而上学が再導入された。およそ半世紀の空白のときをへてのことであった。形而上学をもちいて自派の教義を正当化し、対立陣営の見解をしりぞけるということをルター派カルヴァン派が開始したのが一因である。こうして再導入された形而上学は、中世にそうであったのよりもいっそう強く神学に従属していた。形而上学的な前提位はしばしば政治的宗教的状況によって決定されていた。この傾向はプロテスタント系の大学の方針や大学に属する学者の活動が領主の意向によって強くされていたという事情の帰結でもあった。

 しかし形而上学の導入には困難もあった。中世以来の特殊な術語の数々は、人文主義後のラテン世界では嫌悪された。またとりわけルター派にとっては、ルターが形而上学を好まなかったことが問題となった。

 とはいえやはり宗派上の対立に対処するために、形而上学の導入は不可避であった。ここでの対立はカルヴァン派、フィリッピストと正統的ルター主義者のあいだのものであった。とりわけ彼らは、キリストをめぐるいくつかの論点で対立していた。キリストにおける神性と人性の共存や、聖餐式におけるキリストの血と肉のあり方をどう理解するかが争点となった。これらの対立は哲学的には、基体とそれに宿る性質の関係として表現された。たとえ基体が属性から離れて存在しうるという主張は、キリストの血と肉がぶどう酒とパンとして現実に臨在すると考えるルター派にとって(Balthasar Meisner)好都合であった。逆に聖餐式で起きている出来事を象徴的に解する傾向のあるカルヴァン派にとっては、基体と性質を分離させるというような説をとる必要はなかった。

 ここからわかるように神学上の争いに参画するにあたっては、基体や性質、あるいは実体、形相、質料、現実態、可能態、単一性、区別、付帯性、相違、原因といった形而上学上の基本的概念について一定の理解を持たねばならなかった。形而上学を学ぶにあたってよくもちいられたのがユリウス・カエサル・スカリゲルの『顕教的演習』である。これは1557年に出版されたのち、76年以降おもにカルヴァン派の出版社であるヴェッケル社によっていくどもドイツ語圏で再版された。じっさいスカリゲルは重要な権威として認知されており、『顕教的演習』をはじめとする彼の著作の抜粋が大半を占めるような著作を出版した者たちがいた(Thomas Sagittarius, David Wasius)。Johann Gerhard (1582–1637)は、形而上学の参考書として『顕教的演習』を使うことをすすめている。

 スカリゲルに強く依拠した人物として、神学的にはフィリッピストであり、後には完全なカルヴァン派となったルドルフ・ゴクレニウスがいる。ただし彼のスカリゲル利用は、普遍についての立場(唯名論は排除する)に典型的にみられるように、ルター派カルヴァン派も一致するような一般的な学説を補強するためであることも多い。それとは別にキリスト論に関わる特殊な学説をスカリゲルに帰している場合は、その学説は実際にはスカリゲルが支持するところではなく、同時代の著者(この場合はルター派のMartin Chemnitz)からとられていたりする。

 いっぽう固体化は形相によって生じるというスカリゲルの学説は、ゴクレニウスだけでなく、ルター派ギーセン大学のChristoph Scheibler (1583–1653)によっても支持された。同じ学説はヴィッテンベルクのJacobus Martiniによっても支持されていた。だがルター派のScheiblerにとっては、スカリゲルが性質と独立に基体が存在することはないと主張したことは不都合なはずであった。だがScheiblerはこの点は無視している。

 Thomas Sagittariusは、ゴクレニウスよりもはげしくスカリゲルに依存した。彼の『アリストテレス的ースカリゲル的形而上学』は、入門的なレベルの講義にもとづいたものであり、そこでは当時の重要な哲学者からの抜粋が多く含まれている。Sagittariusによれば、もっとも信頼のおける「アリストテレス、スカリゲル、フォンセカ、ザバレラ、フランキスクス・コンタレヌス、ピッコロミニ、シモン・シモニウス」といった人物から形而上学の学説を集めたのだという。

 カルヴァン派ルター派のあいだの形而上学上の争いが終了したあとに活動したDaniel Stahlは1686年に出版された著作のなかで、スカリゲルにあまり言及しない。数少ない言及箇所でもStahlはスカリゲルの議論があいまいであると指摘し、そのうえでその議論を再構成する。しかもそうしてなおスカリゲルの結論には同意しないのである。

 こうしてルター派カルヴァン派がスカリゲルをどう利用してきたかをみてくるといくつかの傾向がみてとれる。まずスカリゲルはしばしばきわめて一般的な見解を正当化するために引用された。あるいは彼は彼自身が実は支持していないような学説の支持者として引かれた。このようにさかんにスカリゲルがもちいられた理由はなにか。

 理由のひとつはスカリゲルがすぐれたラテン語の書き手でありながら、それでいて中世以来の形而上学の語彙を放棄しなかったことにあると考えられる。スカリゲルがすぐれた書き手であったからこそ、彼の著作からは印象的なフレーズを引きだすことができた。同時にすぐれた書き手の彼が形而上学の語彙を許容しているということは、哲学をもってして教義上の学説を正当化しようとしていたプロテスタントの著述家たちの営みにお墨付きを与えてくれた。また神学上の動機から形而上学にとりくんだプロテスタントの学者たちにとっては、アリストテレスの著作への逐語的な注釈よりは、さまざまなトピックについて鋭利な議論を提供する『顕教的演習』が有用であった。