性を語らせる権力 フーコー『知への意志』#2

知への意志 (性の歴史)

知への意志 (性の歴史)

 第1章第1節「言説の煽動」である。過去300年のあいだ、人びとが性について語る量は爆発的に増えた。性について語ることを権力が求めるようになったからである。まずトリエント公会議後のカトリックは、罪の根源を肉欲に置き、しかもその肉欲にとって決定的であるのは、性的行為よりむしろ性的な欲望であるとみなすようになった。そこで求められたのが、告解において信徒が肉欲のあり方について詳細に語ることであった。これにより教会権力は人びとの欲望をコントロールしようとしたのである。性について語らせるという営みはすでに禁欲を旨とする修道院で行われていた。これが信徒全体に適用されるようになったのが17世紀であった。

 18世紀に入ると性について道徳的に語るのではなく、行政上の対象として語るということが行われるようになる。性は最適な統治のために計量的に把握され管理されねばならなくなる。たとえばこの頃より政府は、自分たちが相手にしているのは単なる民衆ではなく、固有の原理を備えた「人口」であると把握し、この原理を調べあげ、対象を調整しようとするようになった。その原理の中核には性があった。よって性について語り、それについての知を形成し、知にもとづいた命令がくだされねばならない。この他にも子供の教育、医学、精神医学、刑事裁判といった領域で性についての言説、知、制度が整備された。肉欲と告解のまわりにつくられた性をめぐる統一的な言説は、これらさまざまな領域に細分化され、権力行使の手段として活かされていったのである。