セネカとプラトン主義 - シュタールの論文

  • Gisela Stahl, "Die 'Naturales quaestiones' Senecas. Ein Beitrag zum Spiritualizierungsprozess der römischen Stoa", Hermes 92 (1964): 425-54

 セネカの『自然論集』にプラトン主義的傾向が見られるということを論じた有名な論文です。しかし、実際に読んでみると、著者の示す論拠からをもとにセネカプラトン主義的傾向について確定的な議論をすることは難しいことが分かります。

 たとえばセネカは「神自身は、我々の目からは逃れている。神は思惟によってみなければならない(7.30.3)」と述べます。ここから著者は目には見えないのだから神は物質的ではないと結論します。しかしストア派の神概念のあいまいさ(SVF, 2.310で指摘されているような)を考えると、そう単純に結論できるものではないと思います。

 また地上には炎や水といった、将来的に大燃焼や大洪水をひき起こす崩壊因子があらかじめ仕込まれているの。これはセネカが物質の価値はおとしめられているということだ。このような物質の軽視はプラトン主義的だ、という議論をシュタールは行います。しかし宇宙の燃焼の原因が、宇宙の構造内にあるという主張は、セネカに限らずストア派全般が認めていることです*1

 さらにセネカは人間が魂と体から成り立つと考える。このうち魂の方が神的でよりよいである。このように主張することで、セネカの考える魂はプラトン主義に現れるヌースに近づいている。このようにシュタールは主張します。

 しかし『自然論集』で魂が神的なものであると言われるときに含意されているのは、天体を形づくるエーテルと同じ物質から魂が構成されていることのように思えます。確かに魂と天体の起源を同一視するという考え方は『ティマイオス』41D-42Dに遡ります。しかしこの点だけを取り出して考えるならば、これはセネカに特有の考え方ではありません*2

 当時のプラトン主義的を印象論で語っている上に、セネカ以前のストア派セネカのあいだにある違いを見極めていないため、議論が雑になってしまっているように思われました。

 id:Freitagさんが言っておられたように、このシュタール論文をドニーニがどこまで膨らましているかに期待というところでしょうか。

 

*1:ストア派は、宇宙は一つであって、それの生成の原因は神であるが、消滅の原因はもはや神ではなく、存在のうちにそなわっている、疲れを知らぬ火の力であって、その力は時間の大きな周期にしたがって万物を自らのうちに解消し、そこからまた宇宙の再生が技術をもったものの摂理によって成立すると言う(フィロン、『世界の永遠性について』第8節=SVF, 2.620」。 セネカの特徴はこの世界崩壊に強い倫理的含意を持たせる点でしょうか。

*2:セクストス・エンペイリコス、『ピュロン主義哲学の概要』第3巻188 = SVF, 2.96「〔ストア派によれば〕魂の主導的部分は気息として存在する」]。