- 赤江雄一「中世後期の説教としるしの概念:14世紀の一説教集から」『西洋中世研究』No.2、2010年、9-20頁。
雑誌『西洋中世研究』の第2巻が届いたので、さっそく赤江さんの論考を読みました。
古代弁論術に由来する建築的記憶術が俗人向けの説教に利用されていることは、それを可能にする思考様式が聴衆に共有されていると説教者が想定していたことを意味する。その思考様式とは世界の事象を、そこから霊的道徳的意味が引き出されうるようなしるしとみなすものであった。説教執筆マニュアルから「説教者の基本的コミュニケーション・ストラテジー」を読み解くことで、資料に残されない俗人たちの世界観をも明らかにしようとする野心的試みです。
本文の記述で気になったのは旧約聖書に関するものです。赤江さんは土師記6章33節以下を「土の上におかれた羊の毛の一方だけを露で濡らし他方を乾いたままにしておくことで」と要約しています。しかし土師記で対比されているのは羊の毛と土で、羊の毛の一方と他方ではありません。説教集からの文章でも対比のポイントは羊の毛と土にあります。これはミスでしょうか。
しかし最も悩ましいのは注28で引かれているラテン語の解釈です。赤江さんが提示する本文は以下の通り。
Nunc memorate et sequenti in seculo et quomodo baculum et peram primo deposuit de aula, deinde de camera, tercio de oratorio ad instanciam militis ipsam ad amorem suum prouocantis.
赤江さんによる翻訳は次の通り。
今だけでなく未来も、どのように、(巡礼)が玄関広間に杖と旅行鞄を置き、それから部屋のなかに置き、それから教会堂のなかに置いたのか覚えておいてください。
一つ一つ問題を整理せねばなりません。
ad instanciam以下の省略
ラテン語の ad instanciam militis ipsam ad amorem suum prouocantis の部分が訳されていません。
しかし、巡礼者が「自らの愛へと呼びだしている兵士の求めに応じて」杖と鞄を置いたという文は何を意味するのでしょう。この兵士が何なのか文脈から読みとることは私にはできませんでした。
Nunc
「今だけでなく未来も」という赤江さんの訳は、冒頭の Nunc ... et sequenti in seculo を今と未来の並列として解釈していることを示しています。しかしこの Nunc は命令法とともに用いて勧告的な意味を添えるものではないでしょうか(Oxford Latin Dictionary, nunc 6)。もしそうならば et sequenti in seculo の et は Nunc と sequenti in seculo をつなぐものではなく、sequenti in seculo を強める et と解釈することになります。直訳すれば「さあ続く時代においてすら以下のことを覚えておいてください」。
→in sequenti seculoについて「世俗に従い(当世の流儀に則り?)」という解釈案がsxolastikosさんから提示されました。sxolastikosさんは『西洋中世研究』を入手する予定のようなので、そのうえで前後の文脈も考慮した最終的な解釈案を出していただけるのではないかと(勝手に)期待しています。
et quomodo
quomodo の前にある et はどう解釈すべきなのでしょう。これも quomodo を強めるものとすべきでしょうか。謎です。
deposuit
間接疑問文の中が直説法です。しかしこれはよいのでしょう。
de
赤江さんは de aula を「玄関広間に」と訳しています。しかし de を「に」と訳せるのでしょうか。普通は「〜から」です(Cicero, Academica, 1.3)。
→「deは確かに面白いですね。なんだかこれ、繰り返しの語調のためにdeにしたかのようで……」(sxolastikosさん)
まとめ
以上の諸点を考慮して問題の文の直訳すると次のようになります。
Nunc memorate et sequenti in seculo et quomodo baculum et peram primo deposuit de aula, deinde de camera, tercio de oratorio ad instanciam militis ipsam ad amorem suum prouocantis.
さあたとえ次の世代になっても、自らへの愛へと[巡礼者を]呼び出している兵士によるあの求めに応じて[巡礼者が]いかに杖と鞄を最初に玄関広間から置き、続いて部屋から置き、三番目に教会堂から置いたかということすら覚えておきなさい。
ダメですね。しかし私の実力ではこれが限界です。みなさん、『西洋中世研究』(税抜き3,500円)を手に入れて、この難問を解決する知恵を提供してください!
iwaigoさんの訳
→iwaigoさんに非常に丁寧に解説していただきました。コメント欄をご覧ください。ここでは結論となる訳の部分だけを引かせてもらいます。
現在、そして将来においても、以下のことを覚えておこう。杖と鞄を、まず玄関間でどのように置いたのか。次に、旅籠でどのように置いたのか。そして、彼を愛のもとに迎える〔神の〕僕に近づく際、祈祷所でどのように置いたのかを。
残りの部分の引用
→続く文章を省いてしまったことにより、当該文の解釈の幅が広がってしまっているため、残りの部分の引用をしてくれないかとの要望が著者の赤江さんから寄せられました。というわけで当該個所を含めた前後をこの際すべて引用します。
Notari potest hic historia de domina per mortem peregrini a tyranno liberata, qui moriens sibi dixit, 'Soror mea peramata, pro te reliqui uite fata te saluans a periculo; si michi velis esse grata, mei sis recordata'.
Nunc memorate et sequenti in seculo et quomodo baculum et peram primo deposuit de aula, deinde de camera, tercio de oratorio ad instanciam militis ipsam ad amorem suum prouocantis.
Moraliter peregrinus est Christus, domina est anima, periculum est peccatum, baculus et pera crux Christi cum carne crucifixa.
Que insignia pingi debent in aula per elemosinam, in camera per mundiciam, in oratorio per oracionem deuotam.
Sed uenit diabolus et omnia ista impedit, sic suggerens homini quod dicitur Deuto. 8(:14): Eleuetur cor tuum; non reminiscaris Domini Dei tui, qui eduxit de te terra Egypti, de domo seruitutis.
ある女性の話をしておきましょう。その女性は、暴君(的夫)からある巡礼によって救い出されました[が、代わりにその巡礼は命を落とすことになった]。彼は死ぬときに以下のように言い残しました。「姉妹よ、わたしは、あなたを危険から救い出すことであなたに命の機会を残します。もし私に感謝を表したいのであれば、私のことを覚えておいてください」。
今だけでなく未来も、どのように、(巡礼)が玄関広間に杖と旅行鞄を置き、それから部屋のなかに置き、それから教会堂のなかに置いたのか覚えておいてください。
道徳的な意味で、この巡礼はキリストであり、女性は人間の魂です。ここでの危険とは罪であり、杖と鞄は、十字架とそこに磔にされたキリストの体です。
これらのエンブレム(insignia)は玄関広間のなかに絵として愛で描かれ、次に部屋の中に清潔さで描かれ、最後に教会堂のなかに信仰と深い祈りによって描かれます。(以下略)[赤江訳]