初期近代における元素概念の弱体化 Hooykaas, "The Concept of Element

  • 「元素概念の歴史:その歴史的・哲学的発展」Reijer Hooykaas, "The Concept of Element: Its Historical-Philosophical Development," trans. H. H. Kubbinga, 1983, pp. 128–53; orig., "Het Begrip Element in zijn historisch-wijsgeerige Ontwikkeling (PhD. diss., Utrecht University, 1933).

 ホーイカースの博士論文です。提出は1933年です。今でも学ぶところが数多くあります。「スコラ学の内側からの弱体化」と題された第9章を読みました。16世から17世紀にかけてアリストテレスの元素概念が、粒子論的な物質論にとって代わられるという見立てにたって、その交代がいかにしておこったかを考察しています。重要な意味を持ったのは、アリストテレス主義が外部からの攻撃によってではなく、内部での発展過程から伝統的な元素概念を保持できなくなっていったことです。アヴィセンナはすでに混合物の内部で、混ぜられたものの形相が保存されるという学説を唱えていました。スカリゲルは16世紀半ばに、水とワインの混ぜ物、あるいは銀と金の合金からそれらを構成する材料を分離できるのは、それらの内部で材料の形相が目には見えなくても保持されているからだという説を唱え、しかもそれをミニマ、つまり自然の最小単位という粒子論への道筋をひらくような概念装置を使って定式化していました。こうしてアリストテレス主義内部で、様々な変化を通じて一貫して存在している構成要素という考えが現れてきます。この変化とならんで、化学の領域で化合物中で元の物質が保存されていることを示すような実験データの集積、ガレノスの元素を最小物質とみなす学説、古代医学における方法論学派の影響があいまって、よりはっきりとした粒子論の出現を17世紀前半に見ることになります。