中世の修道制 佐藤彰一『中世世界とは何か』第5章

中世世界とは何か (ヨーロッパの中世 1)

中世世界とは何か (ヨーロッパの中世 1)

 いくつかの主題をとりあげることで「ヨーロッパ中世社会の骨格」を論じようとする著作です(くわしくはこちら)。「規律と恩寵」と題された第5章を読みました。古代ギリシア・ローマ世界では、男性は精神の自由を保持するための、あるいは男性の美徳を顕揚する行動規範としての禁欲を実践していました。女性も婚姻関係からくる男性への服従からの自由を確保する手段として禁欲の実践に赴いていました。このような土壌に、終末に備えて欲望を克服するため禁欲を推奨するキリスト教の勢力が伸長します。こうして禁欲修行を旨とする修道制が東方からはじまり、それが4世紀から5世紀にかけて西洋にも流入しました。そこでは修道士は「キリストの兵士」として祈りを中心とする規律化された生活を送ることが求められていました。

 こうしてできた修道院は当初都市部に立てられ、その上在俗の司教に監督権を握られていました。そのため修道生活が十分に行われていないことが多く、聖コルバンヌ、アニアーヌのベネディクトゥスクリュニー修道院の設立、シトー会の誕生といった度重なる改革運動が修道制の霊性を確保するために行われました。こうして修道院は司教や国王からの独立性を高め、宗教的・経済的機能をましていきました。

 また高い霊性を求める運動は終末思想と結びつき、フィオーレのヨアキムを重要な淵源とする反教会運動を活発化させました。また使徒的清貧を旨とする「新しい信心」運動も起こり、とりわけ都市部では俗世から完全に身を離すことなく共同の祈りと瞑想を実践するための信人会が数多くできました。代表的信心会であるベギン会がとなえた戒律に沿った行動にではなく、人間の内面に信心の核心があるのだという考え方はのちの宗教改革の思想にも通じるものです。

 修道院には聖人の墓や聖遺物があったため病の治癒をはじめとする奇蹟現象が起こるとされていました。これらの現象は神の業の顕現とみなされ詳細に記録され、信徒の信仰を強化することになります。しかしあまりに病気の治癒を求めて巡礼者が殺到して修行の妨げになると考えられた場合は、奇蹟が起こったことを隠したり、あるいは院長が聖人の墓に向かって奇蹟を起こすことを禁止する命令を出したりするということが起こりました。