投射体の運動と川の起源

  • Pierre Duhem, Études sur Léonard de Vinci: ceux qu'il a lus et ceux qui l'ont lu, 3 vols. (Paris: Hermann, 1906–13), 1:240–43, 3:198–201.

 カントがスカリゲルのことを博識家ではあるものの、「キュクロプスのように目が一つ欠けていて、つまりラクダ100頭分の積荷に匹敵する大量の史料的な知識を持っているのに、いかにそれを理性によって合目的的に使いこなすかという真の哲学の目が欠けている」と断罪して以来、スカリゲルの哲学はすっかり注目を集めなくなってしまいます。再び関心がもたれるようになるのは20世紀に入ってからです。その端緒を開くのがデュエムによって1906年から13年にかけて出された『レオナルド・ダ・ヴィンチ研究』でした。

 デュエムは二つのスカリゲルの学説を取り上げています。一つは投射体の運動についてのもの。ある人が物体を投げたときに、その物体が投げた人の手から離れたあとも飛び続けるのは何故かというのは古代以来哲学者たちを悩ませていた問題でした。運動というのは何かが力を加えないと起こらないはずなのに、誰も力を加えていない物体がどうして空中を飛び続けるのか。一つの解決策は、物体は空中で空気に押されているのだというものでした。しかしこれに対して古代以来、空気が押すっていうのは無理があるだろ。むしろ物体を投げる人が物体に込めた力(インペトゥス)が、しばらく残っていてこれが物体を空中で押し続けることで飛び続けるんじゃないか、という学説が有力なものとして提唱されていました。スカリゲルもこの意見に賛同し空季説を退けます(空季説は彼の論敵カルダーノが支持していました)。彼はインペトゥスという言葉ではなく、運動の形相が投射体に与えられると考えます。この形相は物体にとって自然的な形相ではないので、時間が経つにつれて疲労します。そして最後にはなくなる。こうして物体は地面に落ちるというわけです。

 もうひとつの問題は川の起源についてです。なんで山頂近くから川が出てくるのかというのはこれまた解きがたい問題でした。海の水が地下の水脈を通って運ばれてきていると考えるにしても、ではなんで海面の高さよりもはるか上の山頂付近にまで水は運ばれるのでしょう。海の水に押されているのでしょうか。しかし海というのは水にとって自然的な場所のはずです。そこから水は動こうとしないはず。なのになんで圧力を働かせて水を押し上げたりするなんてことが起こるのでしょう。これに対してスカリゲルは、たしかに海の底近くにある水は自然的な場所を得ているので重さをはたらかせることはない。しかし表面近くにある水は地球表面がでこぼこであることもあって、厳密には自然的な場所に到達できていない。そのため上方の水が下方の水に圧力をかる。その力が水脈に伝わって山頂から水を湧き出させることになる。このように主張しました。

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