動かない機器

 科学機器についての特集からの一本です。みなさんもなんども体験したことがあると思うのですけど、機械とか機器というのはなかなか設計段階で想定されていたとおりに動きません。輸送の過程で壊れたり、正しく使われなかったりしてうまく動かなくなります。あるいはそれは出荷段階で何か不具合を抱えていたのかもしれません。機器を使うというのはこういう不具合をなんとかうまくやり過ごして、目的の機能を発揮させることです。美的価値があるとみなされる機器が博物館展示では重視されるため、ぶっ壊れたり修理が施された機械というのはあまり私たちの目に止まりません。しかしこの故障と修理に着目することで、機器が社会のなかで占めていた位置が見えてくることになります。

 機器が動かねえというのが大きな問題となったのは、18世紀後半から19世紀前半にかけてです。これは帝国主義的に欧州が拡張するにともなって、いろんな機器がいろんな場所でいろんな人々によって使われるようになったことによります。とにかく輸送とか地理的条件の違いとかで上手く動かないことが多い。これにより修理というのは常態化します。その修理はかなり柔軟に現地で行われることも多い。この動作不良と現地修理の問題は、様々な緊張状態を引き起こしました。たとえば機器が動かないのは設計者の責任か、製作者の責任か、使用者の責任か。機器というのは高額で売り買いされるものなのでこれは決して瑣末な問題ではありませんでした。植民地では機器を壊した現地の人々が罰されたりします。また現地でうまく動かないと言って本国に機器を送り返した天文学者が、現地で柔軟に修理するのが筋だといって本国サイドから解雇されたりしました。機器の挙動が異なるということは、より認識論的な問題も引き起こします。動作が場所によって違うのは不具合によるのか、それとも観測している事象自体が変化していることに起因するのか。

 機器というのはそれ自体はハードコアな物体であるものの、実際に作動するときにはそれを設計する人、作る人、輸送する人、使う人、その他様々な人間の媒介を経なければなりません。この意味で機器の不具合に着目することはモノとヒトの両側面に目を向ける事であり、社会学的分析装置を持って臨まなければならないことになります。

関連文献

Going Amiss in Experimental Research (Boston Studies in the Philosophy and History of Science)

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