王政復古期における科学の有用性

イギリス科学革命―王政復古期の科学と社会

イギリス科学革命―王政復古期の科学と社会

  • マイケル・ハンター『イギリス科学革命:王政復古期の科学と社会』大野誠訳、南窓社、1998年、101–126頁。

 イギリス王政復古期の科学とその有用性をめぐる議論と実態についての記述を読みました。この時代の科学者たち(多くは王立協会にいた)は自らの活動を旧来の学問と区別するのは、その有用性にあると信じていました。あるいは少なくともそのように喧伝していました。「古い学問は無益な用語や観念を用いるだけだが、新しい学問はすべての被造物が役に立つことを教えてくれる」(トマス・スプラット)。このことは彼らの研究活動が経済的産業的要請によって規定されていたことを必ずしも意味しません。彼らは短絡的に実用性を求めることが、一般的原理の発見をさまたげることを自覚していました。しかし新科学は役に立たないという批判にこたえねばならなかったのも事実でした。

王立協会についてはこんな批判をよく耳にします。協会には独創的な人たちがおり、自然に関するたくさんの秘密を発見しているのに、会員が実際に行なったことは、一般の人にはほとんど何の利益ももたらさない。あの人たちは本当にバターやチーズの性質を検討したり、理解力の劣る人たちにもわかるような処方箋を書いてくれるのだろうか、と。(ジョン・グリーンウッド)

 そこでとりわけ初期の王立協会では理論的知見を実用に向けることで人間生活を改善できるという考えにたった活動が盛んに行われました。産業誌の編纂では、染色法、皮なめし法、製塩技術、りんご酒醸造技術、鉱山技術にいたるまで多様な技術の様子が収集されました。情報収集の結果として、たとえばある地方での改良を他の地域に転用することで、各地で効率的な生産を行うことができるようになると期待されました。同種の実用を視野に入れた活動は、農業、植林、発明品審査(ただしこれは実現しなかった)、新しい機械の考案、航海技術(特に経度の確定問題)の領域でも組織されました。

 しかし時代が下るにつれて、知識人たちの期待どおりの成果がえられないことが明らかになってきます。彼らは自分たちのような選民であれば、技術をたやすく習得し、改良案を提示することができると考えていました。だが願望と実際の結果とのあいだには巨大な溝が。たとえば農業法は地域ごとの特性に基づいて確立されているので、ある地方で効率のいい方法を別の地域に応用することは容易ではありませんでした。発明品も理論的には妥当と判断されても、実践的には使えないことが多い。農村人口に余剰がある場所に人的労働を省くことを目指す道具を広めようとして失敗するという経済的要因を配慮し損なうという事態も起こりました。これらの失敗は部分的には(知識人たちが嘆いたように)農民、職人の無知と保守主義に原因があったものの、知識人たちの提案が実効性を欠いていた場合も多かったのです。実際、この時代に技術レベルの革新はしばしば起こっていて、それはほとんど職人や企業家によってもたらされたものでした。

 科学を有用なものとする試みは裏切られます。その一方で科学知識はますます複雑化し、技術改良との分化が進みました。このようななか、科学者たちは次第に科学から技術に向うのではなく、科学から権力へ向かうことを志向しはじめることになります。

関連書籍