ガッサンディとエピクロス哲学

The Epicurean Tradition

The Epicurean Tradition

  • Howard Jones, The Epicurean Tradition (London: Routledge, 1989), 166–85.

 ガッサンディを扱った部分を読みました。ピエール・ガッサンディ(1592–1655)はその知的経歴をアリストテレス主義批判の書から開始しています(1624年出版)。そこで彼はアリストテレス主義者たちはアリストテレスの奴隷となっており、そのため彼らが支配する現状の学問からは自由が失われていると主張しました。アリストテレスはその絶対的権威の座から下ろされねばなりません。しかしこの本はアリストテレス主義者からの激しい反発を招いたため、ガッサンディは予定した続刊の刊行を断念します。

 代わりに彼が目指したのはエピクロスの哲学によってアリストテレスの哲学を置き換えることでした。1628年3月の書簡から、彼がすでにその時点でエピクロスの哲学に関心をいだいていたことがうかがえます。しかし決定的な転機は、同年の12月から低地地方を旅し、その途上で原子論者であるイサク・ベークマンと自然学上の諸問題について語り合ったことにあるのではないかと推測されます。以後ガッサンディは単なるアリストテレスの反発者ではなく、エピクロス主義のチャンピオンとなりました。しかしエピクロスの哲学について体系的で包括的な記述を行おうとするガッサンディの試みは、(彼の表現を借りれば)老人のあゆみのごとく遅々としたものでした。30年頃から開始された作業がようやく出版されはじめるのは、47年になってからのことです。結局最終的な『哲学集成』と題された決定版は彼の死後まで刊行されませんでした。

 ガッサンディはいくつかの点でエピクロスの教えがキリスト教の教義に反していることを進んで認めました。摂理の否定、非物質的なものを真空に限定すること(天使の存在が認められなくなってしまう)、原子の数を無限とすること(無限なものは神だけ)、原子は創造されず永遠の昔からあることといった学説が信仰に反するとして退けられました。しかしだからといって原子論自体が否定されるわけではありません。神が創造の時に十分な数の多様な原子をつくり、それに様々な現象を引き起こすことが可能な力を与えたと解釈すれば原子論は維持可能だと彼は考えました。

 エピクロスの哲学の利点としては、知識への到達可能性を否定する懐疑派と、確かな知識を断定的に否定する独断派(アリストテレス主義)の中間をいく、感覚に基づいた現象の学問を基礎づけてくれるということがありました。こうして基礎づけられた学問体系の上に、彼は同時代の最新の実験や観察や理論的考察の成果を取り入れていったのです。これと並んで、これまで批判的検証をほとんど受けてこなかったエピクロス派に関する資料群の存在は、人文主義者としてのガッサンディに大きな挑戦をせまるものでした。自然研究者としても人文主義者としてもエピクロス哲学はガッサンディにとって魅力的であったのです。