初期近代の図版製作

Picturing the Book of Nature: Image, Text, and Argument in Sixteenth-Century Human Anatomy and Medical Botany

Picturing the Book of Nature: Image, Text, and Argument in Sixteenth-Century Human Anatomy and Medical Botany

  • Sachiko Kusukawa, Picturing the Book of Nature: Image, Text, and Argument in Sixteenth-Century Human Anatomy and Medical Botany (Chicago: Chicago University Press, 2012), 28–47.

 初期近代において書物(やパンフレット)のなかの図版がどのように製作されていたかを概観した記述を読みました。初期近代では図版を複製する手段が2つ知られていました。一つは木版を用いるものです。この技術が紙に適用されはじめたのは15世紀前半からです。木版の利点はそれが凸版印刷であることから、可動活字と同時に刷れることでした。もう一つの手段は削った金属板(多くは銅)を用いるもので、1430年代から使われています。削り方にはビュランを使って彫刻するやり方と、酸を使ってエッチング加工するやり方がありました。前者の方法は後者よりも高価であったものの、つくられる金属板の耐久度の点で優ったため、彫刻法がより広く用いられました。しかし金属板を用いると木版を用いるより10倍から12倍程度高くつき、しかも金属板は通常凹版印刷であったため可動活字と同時に刷ることはできないという不便さがありました(そのため金属板を用いた図像はテキストから独立して刷られることが多かった)。このため16世紀には木版の方が金属板よりよく利用されています。木版が金属板に対して減りはじめるのは16世紀の終わりごろになってからのことです。

 図版制作のもう一つの方法は自然の事物そのものにインクをつけ、それを紙に押しつけるというものでした。このような方法で製作された図像を含む書物は少なく、多くのコピーをつくるための方法ではなかったことがわかります。むしろそれは個人的な図像コレクションをつくるたねにしばしば用いられました。たとえばロンドンの図書館にあるフックスの『植物誌』には、そうしてつくられた葉っぱの図像が含まれています。そこには18世紀のI. Newtonと名乗る人物の署名がついています。

 活版印刷で製作された本は手写しでつくられた手稿より耐久性がないと考えられていました。そのため15世紀後半の書物収集家たちはしばしば印刷された本を写字生に筆写させてみずからの蔵書とすることがありました。このようにして図像が筆写されることも頻度こそ高くなかったもののありました。初期の印刷本は手稿時代の外観を継承していたため、手稿(写本)制作に携わっていた者たちが印刷本の製作にも携わっていました。とはいえ地域によっては出版者たちが技能を備えた職人を見つけられない場合がありました(いい職人を見つけられなかったと嘆いている著者がいる)。また印刷者が図版を製作したのにギルドにはいっていないとして、アントワープの画家ギルドが不満をもらすなど、ギルドからの図像印刷への介入が行われることがありました。

 図像複製のためには、図像の原案を製作する職人、木版や金属板にその図像をうつし描く職人、そのうつされた図像にそって木版や金属板を彫る職人が必要でした。このうち最も高い報酬をえたのが最後の彫刻師でした(図像考案者の1.5倍から5倍程度)。またオリジナルの図像を考案した者たちよりも彫刻師こそが図像製作者とみなされる傾向がありました。フックスが自著に含まれた図版が剽窃された際に怒りを共有しようとしたのは彫刻師とでした。これは出版者がみずからの財産とみなしたのが、そこから複製を可能とする木版や金属板であったという事実と合致します。