思想の多元化の時期としてのルネサンス

The Renaissance: Essays in Interpretation

The Renaissance: Essays in Interpretation

  • Paul Oskar Kristeller, "The Renaissance in the History of Philosophical Thought," in The Renaissance: Essays in Interpretation (London: Methen, 1982), 127–52.

 ルネサンス哲学研究の親玉によるルネサンス問題論を読みました。ルネサンス問題を難しくしているのは、その時期、範囲の捉え方が論者によってまちまちであることです(はじまりとして提唱されている一番遅い時期と、終わりとされている一番早い時期をあいだには27年しかない。逆に幅を最大にとると400年以上に及ぶ)。また研究者が自分の専門分野の視点から論争に参加することによっても議論に混乱が生じています。たとえばブルクハルト批判を行ったのは科学史家や経済史家というブルクハルト自身が論じることのなかった分野の専門家であることが多かったのです。このような状況のなかで1300年(ないしは1350年)から1600年までのヨーロッパ文明をルネサンスととらえたときに、その時代の哲学思想にどのような特徴を見いだせるでしょう。

 この時期にもっとも特徴的な知的運動は人文主義でした。それは文法、レトリック、詩、歴史、倫理学の研究への強い関心によって定義されます。これは倫理学には直接的な、その他の(多くの場合中世より続く)分野には間接的な影響を及ぼしました。後者の例としては、伝統的には註解や問題集形式で著されていた哲学著作が、対話、演説、書簡、そしてエッセイ(私たちが普通に考える論説形式のもの)といった形式で書かれるようになりました。スコラ学の特殊な語彙が古典的な語彙におきかえられました(そして多くの場合論述から精緻さを失わせました)。利用可能な古典テキストの増加は思想の多様性を増加させます。様々な分野で人文主義はその内容を提供するというより、手法やスタイルやソースを提供したと言えます。

 ルネサンスの哲学思想に人文主義とは独立に影響を与えたのがアリストテレス主義です。イタリアの大学には神学部がなく、哲学教育は医学と強い結びつきをもっていました。そのため同地でのアリストテレス主義は世俗的な傾向を持つようになります。この伝統は人文主義運動とも深く関連していました。ポンポナッツィは当時利用可能になったギリシア語著作のラテン語訳を多用していましたし、ザバレラは高いギリシア語運用能力を有していました。

 第三のルネサンスの重要な知的運動がプラトン主義です。プラトン主義は制度的基盤を欠いており、この点でアリストテレス主義(大学教育)や人文主義(初等中等教育と大学での初期教育)と対照的です。プラトン主義の影響力は15世紀の最も重要な三人の思想家、すなわちクザーヌス、フィチーノ、ピコがプラトン主義に強く影響されていたことに依存していました。これらの三つの思想運動に加えて、16世紀にはカルダーノ、テレージオ、パトリッツィ、ブルーノらがアリストテレスのものにかわる新しい宇宙論を提唱していました。

 結論としてはルネサンス期の思想とは新しかったり古かったり忘れられていたりした様々なアイデアが利用可能になったことにより特徴づけられます。この多様性が先行する期間の統合的な思想体系を解消し、続く思想への道を準備したのです。