ユーラシア時空間のなかの中世 佐藤『中世世界とは何か』

中世世界とは何か (ヨーロッパの中世 1)

中世世界とは何か (ヨーロッパの中世 1)

 日本語で書かれた最新の中世史概説書の導入部分を読みました。文字記録の登場を起点として設定される古代、中世、近代という三時代区分に基づいて中世を論じるのではなく、いわゆる先史時代にまで時計の針を戻し、その上で広くユーラシア的時空の枠組みのなかでヨーロッパ中世を再定位する必要性を唱えています。クリスティアンクリスティアンセンの著作によれば、紀元前2000頃から紀元前200年頃までの中近東からヨーロッパでは、中心・周縁の二つのセクターから構成されるシステムと、その関係が崩壊して地域的首長層の婚姻・社会関係のネットワークに結ばれた地域間システムとが交互に入れ替われるということが起こっていました。紀元前200年頃にそれまで存在した地域間システムに終止符を打ち、再び中心・周縁関係を復活させたのがローマに他なりません。クリス・ウィッカムによれば、ローマがゲルマン人に打倒されたことにより、西ヨーロッパ全体が(エジプトを核とする)東地中海世界という中心に対する周縁、ないしは半周縁の位置に置かれることになりました。ヨーロッパの中世とは周縁、ないしは半周縁化によりはじまると言えます。その後900年頃から西ヨーロッパと環地中海世界は、プロイセン地方を前線にして、そこより東を周縁とするシステムの構築に向かいます。
 一方、先史時代から遊牧民族が常にヨーロッパに到来していました。2000年間続いたこの侵入がやむのがオスマン・トルコによるヨーロッパ進出です。オスマントルコに従属しながらそれと対峙することになったバルカンやポーランドでは国家が政治的・軍事的に成長し、もはや草原地帯からヨーロッパに侵入することは困難となりました。「『西洋の歴史』というありきたりの通年から離れて、『ヨーロッパ半島』としてその歴史を眺めてみるならば、ヨーロッパが諸民族の回廊地帯であることを停止したその画期性にこそ、目を向けなければならない。アジアとの通路が封鎖されたことによって、ヨーロッパ空間は輪郭の明瞭な世界に変容し、独自の構造を備えた文明空間となったのである」(20–21ページ)。ここに中世が終わります。
 したがってヨーロッパ中世とは、東方からの民族襲来が起こる最後の時代に、周縁(あるいは半周縁)化から再び中心へと向かうためのシステム構築が行われた時代として切りだされることになります。

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