運動としてのルネサンス

Background to the English Renaissance

Background to the English Renaissance

The Renaissance (Critical Concepts in Historical Studies)

The Renaissance (Critical Concepts in Historical Studies)

  • E. H. Gombrich, "The Renaissance - Period or Movement?" in Background to the English Renaissance, ed. A. G. Dickens and others (London: Gray-Mills Publishing, 1974), 9–30; repr. in The Renaissance: Critical Concepts in Historical Studies, ed. Robert Black (London: Routledge, 2006), vol. 1, pp. 27–53.

 著名な美術史家によるルネサンス論を読みました。古典文化の再生を最初に唱えたのはペトラルカ(1304–74)と言われます。彼にはじまる「何かを復興させなければならない」という意志はまずはイタリアで広まり、やがてアルプスを越えてドイツに達します。1492年にドイツの人文主義者Conrad Celtesは、イタリアと違ってドイツの大学では誰も書簡、演説、詩、そしてエレガントな歴史を書くことができないと嘆いています。この古典復興の特徴は、それが静的なものであったことです。一度失われた古代がそのまま再生したととらえられていました。

 しかしこの復興の最中にもたらされた発見(火薬、印刷技術、羅針盤)により、ルネサンスという観念は進歩の観念と強く結びつくことになりました。最初の文化史家であるヴォルテール(1694–1778)は、メディチ家が貴族と教会にないがしろにされていた文明化をおこなったとみなしました。これにたいしてフランス革命に幻滅したロマン主義者は、信仰の時代である中世を高く評価し、ルネサンスを破壊の時代と考えました。ジョン・ラスキン(1819–1900)によると、ルネサンスの学者たちというのは「突如として世界は10世紀に渡って非文法的に生きてきたということを発見し、直ちに人間存在の目的を文法的であることに定めた」。ヘーゲル(1770–1831)は特有の時代精神を持つ諸時代が必然的に続くのが歴史であると考え、ルネサンスには人間性の成長が見られると考えました。ミシュレ(1798–1874)はルネサンスとは世界と人間の発見の時代であるとみなし、この考えがブルクハルト(1818–97)の『イタリア・ルネサンスの文化』(1860)に引き継がれることになります。

 このようなルネサンス観にたいしてカトリック陣営から疑義が提出されます。中世は暗黒であったのか。ルネサンスは輝いていたのか。カトリックの歴史家には、ペトラルカではなくアッシジのフランチェスコに文明の転換点があると主張しました。また彼らはルネサンスの芸術の対象の多くがいぜんとして宗教画であるということから、ルネサンスにおける宗教的要素の役割を強調しました。進歩史観に対するもう一つの反論は化科学史の領域からなされました。科学の歴史にとって重要なのはペトラルカではなくてガリレオだし、言語に関心を示す人文主義者よりも中世スコラ学者の方が自然哲学上の問題について活発に議論していたではないかというわけです。

 そもそもある「時代」について一般化を行うことから何が学べるのでしょうか。人々は多様ですし、またある時代について語った人はその時代を生きた人全体からすればごくわずかな数を占めるにすぎません。むしろルネサンスは「時代」ではなく「運動」と考えるべきです。ちょうど政治運動と同じように、それは熱狂的な支持者を持つと同時に頑強な反対者を持ち、この対立の外に多くの部外者がいます。ではなぜこの運動は速やかにヨーロッパに拡散したのでしょう。それが優位性を持っていたからだというのが筆者の答えのようです。たとえば絵画の領域における遠近法と裸体画の考案を芸術上の達成とみないのは難しく、それゆえ「ルネサンスの成功は単なる偶然ではない」と結論づけられます。