ドアを開け驚きを創り出す フェーブル「マルク・ブロックとストラスブール」

歴史のための闘い (平凡社ライブラリー)

歴史のための闘い (平凡社ライブラリー)

 フェーブルがブロックとの出会いからその死までを語った文章を読みました。マルク・ブロック、リュシアン・フェーブル、『アナール』、レジスタンス、銃殺といったことについてはすでに多くが語られているので、ここで繰り返す必要はないでしょう。むしろフェーブルによる(たぶんいささかの美化が入りこんだ)ストラスブール時代の思い出や、ブロックの農村史への貢献についての記述を引いておきます。

ストラスブール]大学では、我々[すなわちブロックとフェーブル]の演習室は目と鼻の先といってよいほど隣り合っていた。しかもドアがいつも開いていた。中世史家が近代を、近代史家が中世を知らないなどということは許されなかったのである。学生たちは二つの演習室を往き来した。教師も一緒だった。またブロックと私はしばしば連れ立って宿舎へ帰った。本でふくらんだカバンの重いのにもかかわらず、ラ・ロベールソー通りの中央歩道を時を経つのも忘れて幾度となく往復した。このような雑談と意見の交換と瞑想の結果、ブロックは(中略)新しい地平線へと徐々に向かっていった。(135–136ページ)

野原と耕地の入りまじった絨毯、鮮やかで対照的な色彩の斑点—このヴァン・ゴッホ好みの光景は同時に、極めて大きいしかも情熱を掻き立てる問題を提起していた。ブロックの偉大な功績は、それに気づいたこと、さらにこうして発見した新しい世界の中に現実の探求者、生の注釈者として毅然として入っていったことである。この地方では畑が一様に細長いのはなぜか。あの地方では正方形で大きいのはなぜか。ここは整然としていて、あそこはふぞろいなのはなぜか。ここでは畑が、草の生い茂った垣や土手に深く根を下ろした木のカーテンで囲まれているのはなぜか。あそこでは畑に囲いがなく、垣も茂みも木さえもなく、たまたま枝葉の多い柏の木が聳え立つとたちまち有名になり、参謀本部地図にもサン・マルタンやサン・タンドリアンの梨の木、菩提樹、胡桃の木などと書きこまれ地方一帯の目印となるのはなぜか。我々はこれらの様々な景色を目にするが驚かない。たびたび見たためにもう眺めない。ここでも驚きを創り出さねばならなかったのである。多産的な驚きなくしては好奇心もない、ゆえに科学もない。(140ページ)

 研究室のドアを開け雑談をしよう。問題を創り出そう。