- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2012/09/29
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- 矢口直英「イブン・シーナーの自然精気」『科学史研究』第51巻(No. 263)、2012年、129–137ページ。
イブン・シーナー(アヴィセンナ)の精気論を扱った最新の研究を読みました。謎めいた自然精気概念に着目したものです。ガレノスは動物精気と生命精気の存在は認めているものの、自然精気については「もし自然精気なるものがあるとすれば」といった言い方しかしていません。一方、フナイン・ブン・イスハークは『医学問答集』(邦訳あり!)のなかで、「諸精気はいくつか? 3つ それは何か? 自然精気、動物精気、精神精気である。自然精気は肝臓から送られ、脈打たない血管[静脈]から身体全体に浸透し、自然的能力にい奉仕する」と書いています。このフナインにならう形で、アブー・バクル・アッ=ラージーとアリー・ブン・アル=アッバース・アル=マジューシーもまた自然精気の存在を認めています。
イブン・シーナーも『医学の詩』『医学典範』『心臓の薬について』で、三種類の精気を認めており、そのうちひとつは自然精気です。しかし自然精気についての記述は極めて稀です。確かに分かるのは、それが肝臓で特有の性質を帯びて栄養と成長という自然的能力に役立てられることです。その源泉については、血液の蒸気とするか、心臓から運ばれた精気であるとするかの2種類の説明が併存しています。これ以上のことはわからないような自然精気についての説明の希薄さは、残りの動物精気と精神精気についての説明の豊富さと対照的です。
イブン・シーナーにしても、ラージーにしても、マジューシーにしても、自然精気の実態を詳細に説明できていません。これはおそらく人間には自然的、動物的、精神的の三つの能力がある。ならばそれぞれに対応する精気があるはずであるという三層構造的前提がまずあり、それに沿って医学理論を展開しようとしたものの、自然精気についてはガレノスに由来する記述がなかったため、その内実を十分に詰めることができなかったのだと考えられます。著名な翻訳者であるフナインが精気は3つと断言していたことも、上記の3分類の前提を学識者たちが受け容れることを促したと推測されます。
関連論文
- http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/123284
- 本論文の著者である矢口さんによる、フナイン『医学問答集』の日本語訳をダウンロードすることができます。
メモ
子宮が精液を包みこむときに最初に起こるのは、そこに精液の泡が生じることであり、これは形成の力の作用による。その泡において、精液の持つ精神[精気]、自然[精気]、動物精気は、形成の力によってそれぞれの源へ動かされる。(131ページ、『医学典範』からの引用)
発生の力には2種あり、精液を生み出す力と、等質である精液を区分して多様な器官へ変成させる力である。形成の力は器官の形状を決めたり、位置を決めるものである。(132ページ)