象徴的自然から自律的自然へ グレゴリィ「アリストテレス自然学導入以前の中世哲学における自然観」#1

  • トゥッリオ・グレゴリィ「アリストテレス自然学導入以前の中世哲学における自然観 12世紀」飯尾都人、近藤映子訳『イタリア学会誌』17、1969年、108–129ページ。

 古代後期から初期中世にかけては、自然はそこから宗教的・道徳的教訓を読みとるべきものととらえられました。このためそこから象徴的解釈を導くことが容易であるような驚異的(と思われた)事象例が集められました。自然本性が持つ法則性や一貫性といったことが考慮されることは稀でした。11世紀にはペトルス・ダミアニ(c. 1007–1072)のような人物が哲学への反発から神の全能性を最大限に強調することで、象徴的な意味を担う自然は神の(時として気まぐれに行使されうる)意志に全面的に依存するものととらえられるようになります。これに対してコンシュのギョム(c. 1085–1154)やバスのアデラルドゥス(c. 1080–c. 1152)のような人々は、自然を象徴へと解消してしまうことも、測りがたい神の意志へ依存させてしまうことも拒否して、理性に基づいて事象の根拠(とくに因果的連鎖によって基礎づけられた根拠)を求めるようになります。彼らのこの態度は新たにアラビア語圏から流入した知識と、プラトンの『ティマイオス』に依拠したものでした。これに対してサン・ティエリのギョム(c. 1080–c. 1148)はコンシュのギョムが自然の理性的解釈を、聖書中にある自然現象の記述についてまで適用したことを瀆神的として激しく批判することになります。(続く)