本日は学習院女子大学にて、渡邉顕彦先生(大妻女子大学准教授)による特別授業「キリシタンと西洋古典ー古代地中海世界から近世日本まで」に出席しました。
ツイッターにメモした授業の模様を森脇江介さんがまとめてくれました。ありがとうございます。
授業の内容はこのまとめを参照してもらうとして、ここでは今日とくに印象に残った点を記録に残しておこうと思います。渡邉先生は西洋古典学の分野で学位をとられ、またアメリカと欧州で古典語(ラテン語)の教育に当たってこられました。そのような経歴からもうかがえるように、先生が真に責任を持って判断を下しているのはラテン語の文体についてです。
キリシタンの世紀の日本人たちが書き残したラテン語からなにがうかがえるか。彼らの文体からは、同時代の欧州から来たイエズス会士たちにまして、彼らが古典古代の文体や伝統に沿おうと努力していたことが認められます(しかしそれと同時に初歩的な間違いや、いかにも教科書に忠実にしたがったのだなという文章もある)。このように西洋の伝統をしっかりと身につけていることを示すことで、日本人キリシタンたちは自分たちが教会内で置かれた不安定な立場を補強しようとしていたと推測されます。ある文化圏の周縁において、かえって中心にかつて存在していた言語的規範が強く保持されるということは、しばしば見られる現象のように思えます。ラティニストの目はこの傾向を日本人キリシタンが書き残したものから浮き上がらせるのです。