セネカ 『自然研究』

 いま扱っているテキストで引用されていたこともあって、セネカ『自然研究』の日本語訳を手にとってぱらぱらめくっています。見たことのない世界が広がっています。いろいろと研究のしがいがありそうな本ですが、まだ大規模な調査は(本文校訂に関するものをのぞけば)なされていないのですかねぇ。

→アダムさんに "The Reception of Quaestiones Naturales in the Context of Renaissance Mineralogy: From Albert the Great to Robert Boyle" という論文を書いてくれるようお願いしました。

この神こそ、すべてのものがそれによって支えられているもの、原因の原因なのだから。
この神を摂理と呼びたいなら、それも正しい言い方だろう。
なぜなら、この神の熟慮によってこそ、この宇宙は滞りなく進行し、自らの活動を繰り広げられるように先々まで見通されているのだから。
この神を自然と呼びたいなら、それも誤りではないだろう。
すべてのものは、この神から生み出されたのであり、我々はこの神の息吹によって生きているからである。
この神を宇宙と呼びたいなら、それも偽りではないだろう。
なぜなら、この神自身が君の見るすべてであり、この神自身がどの部分にも内在して、自分自身も自分に属するものも支えているからである。(『自然研究』2,45. 土屋訳)