占星術と人間中心主義 Ernst, "Atomes, providence, signes célestes"

  • Germana Ernst, "Atomes, providence, signes célestes: le dialogue épistolaire entre Campanella et Gassendi," in Gassendi et la modernité, ed. Sylvie Taussig (Turnhout: Brepols, 2008), 61–82.

 カンパネッラの専門家による、ガッサンディとカンパネッラのあいだの論争を扱った優れた論文を読む。主な史料として、ガッサンディとカンパネッラが1632年から33年のあいだに交わした書簡を用いている。

 カンパネッラによるガッサンディの批判は2点である。一つは、ガッサンディが支持するエピクロス哲学に対するものだ。カンパネッラによれば、エピクロス哲学はすべてが原子の偶然の衝突によって生じると考える点で間違っている。この世界は、そのように偶然に生じるものではない。よって理性を備えた第一の原因を想定する必要がある。これに答えてガッサンディは、この点ではエピクロスが誤っていたと認める。エピクロスは、星々を神とするストア派に対抗するために行き過ぎ、神による世界の支配自体を否定する過ちを犯してしまったという。

 カンパネッラのもう一つの批判は、ガッサンディによる占星術批判に対するものであった。ガッサンディは、幻日について、単なる自然現象であり、これを人間に関する出来事の予兆としてとらえるべきではないと考えていた。そのような考えは、すべてを自己中心的に解釈する人間の傾向の産物である。また、もし神が自然現象を介して、人間にメッセージを送るならば、神は必ずそれがメッセージであると人間に分かるようにするはずだという。

 これにたいしてカンパネッラは、ある現象を自然現象として説明できるからといって、そこから神がその現象に意味をこめなかったとは結論できないと反論する。この反論は、前述のエピクロス哲学批判と密接に関係している。批判のなかでカンパネッラは、意図をもって世界を支配する原因を認めなければならないとしていた。そうであるなら、この原因の意図を幻日のような自然現象に認めていけないわけがあろうか。これを認めないというのは、人間に直ちに明らかではないものの存在を認めない傲慢である。

 ガッサンディもカンパネッラも、人間の傲慢をいましめていた。しかし、そこから彼らは対照的な結論を引き出す。ガッサンディは、人間中心主義のゆえに占星術を否定した。カンパネッラは、占星術の否定こそがすべてを人間の尺度で測る過ちであると考えた。