ストア派にとっての悪の問題

 調べています。以下経過報告的なものを断片的に掲載していきます。

資料、研究

 基本的な資料は

  • SVF, 2.1168-1186

に収録されています。

 日本語で読める文献としては

  • ロング、『ヘレニズム哲学』、256-8頁

があります。

 英語はたくさんあるのでしょうけど、とりあえず

  • ストア派の悪概念」 A. A. Long, "The Stoic Concept of Evil", Philosophical Quarterly 18 (1968): 329-43

が基本のようです→感想はこちら

 また次のような博士論文があります(未見)。

  • 「神の恩恵、人間の苦しみ:初期ストア派における摂理と悪の問題」 Rory B. Goggins, "Divine Benevolence, Human Suffering: Providence and the Problem of Evil in Early Stoicism" (Ph.D. diss., University of Pennsylvania, 2005).(要旨

 なお、本ブログで今後SVFを引用するときは、京都大学学術出版会の『初期ストア派断片集』の訳を、またセネカを引用するときは岩波書店の『セネカ哲学全集』の訳を用いることにします。

クレアンテスの考える運命と摂理

 クリュシッポスは悪い行いであっても、神の摂理にしたがって運命として起こると考えていました(SVF, 2.937)。

 一方クレアンテスは次のように述べて、悪い行いが神の摂理にしたがって起こっていることを否定します。

神よ、あなたによらずして地に生ずるものは、ひとつもなく、
神々しきアイテールの域にも、また大海の中にもない、
悪しきものどもが、自らの愚かな心でなした業を除けば。(SVF, 1.537)

 ただし「摂理によることは運命的に起こるが運命的なことが摂理によるのではないと言う人々もいる。たとえばクレアンテスのように(SVF, 1.551)」というカルキディウスによる証言があります。つまり、クレアンテスにとって悪い行いは神の摂理にはよらないけれど運命的に生じていることになります。

 カルキディウスは引用した箇所の直前で「クリュシッポスが考えたように、運命的なことは摂理によることでもあり、同じにように摂理によることは運命的なことでもある」と記しています。これは最初に言及した証言(SVF, 2.937)とも一致します。

(つづく)