原理は単一か複数か ライプニッツとスカリゲル

 ライプニッツ「唯一の普遍的精神の説についての考察」を読みました。工作舎から出ている『ライプニッツ著作集』の第8巻に収録されています。1702年ごろベルリン近郊で書かれたそうな。

前期哲学 (ライプニッツ著作集)

前期哲学 (ライプニッツ著作集)

 実体形相の概念をしりぞけて、世界に単一の力なり精神なり霊魂なりが世界に浸透しているとする学説を批判する論考です。批判されているのはたとえばアヴェロエスの能動知性論です。その他にも次のような人々が挙げられています。

またある人々は、カバラ主義者とともに、神がその精神を創ったと考えている。この考えはまた英国のヘンリー・モアや他の最近の哲学者たち、とりわけ化学派の人たちのものでもある。彼らは普遍的原質あるいは世界霊魂があると考えていた。さらにまた、『創世記』の初めで語られている水上を渡るものこそ、主[としての神]のかかる精神だと主張するものもいる。(124頁)

 世界に一つだけ能動原理を認めるというルネサンスより続く自然哲学の方向性の一つが批判されていることが分かります。その中にアヴェロエスの能動知性論も回収されているわけです。

 この見解に対してライプニッツは複数の原理を認めるべきだとします。

こう考えるなら、神という至高の能動者以外にも多数の個別的能動者があると考えたほうがずっと合理的である。なぜなら、無数の能動的働きや受動的働きが個別的にあり、しかも対立しているの、それを一つの基体に帰属させることはできないからである。それゆえ、ここでは能動者は[多数の]個別的魂に他ならないのである。(133頁)

 これは約150年前にユリウス・カエサル・スカリゲルが述べたことと重なります。

しかし世界霊魂はあらゆる運動の原理であることはできない。なぜなら運動は一つの種類ではないから。したがって動者もまた複数である。神は自ら動かすのではなく、[最初に]永遠の動者を与えた。そして[今]一時的な動者を与えている。前者は[天球を動かす]知性であり、後者は私たちの霊魂である。したがって一つの普遍的な形相があるのではなく、複数の形相がある。それら複数の形相がそれぞれの事物に分配されて万物を動かしている。なぜなら[もし世界に一つしか形相がなければ]、自発的運動は一種類しかないだろうから。

 もちろん数学研究の進展や顕微鏡による観察の進歩といった成果を踏まえて行われるライプニッツ形而上学に見られる洗練の度合いとスカリゲルの議論とでは大きく水準が異なります。しかしそれでもやはり彼らは原理の数を縮減し実体形相を消し去ろうとする学説と戦うという共通の目的を共有していました。

参考