初期アヴェロエスの知性論 Taylor, Long commentary on the De Anima of Aristotle, #1

Long Commentary on the De Anima of Aristotle (Yale Library of Medieval Philosophy Series)

Long Commentary on the De Anima of Aristotle (Yale Library of Medieval Philosophy Series)

  • Richard C. Taylor, "Introduction," in Long commentary on the De Anima of Aristotle, trans. Richard C. Taylor with Thérèse-Anne Druart (New Haven: Yale University Press, 2009), xv-cix, here xv-xlii.

 アヴェロエス『霊魂論大注解』の英語訳にふされた長大な解説である。まずは『大注解』での学説解説に入る手前までをみていこう。アリストテレスは『霊魂論』3巻5章で次のように述べている。

実際、一方では、それがすべてのものになるということのゆえに、素材に相当する知性が存在し、他方では、それがすべてのものに作用し生み出すがゆえに、原因に相当する知性が存在する。…そしてこの知性は、離存し、作用を受けず、混交せず純粋であり、その本質的あり方において活動実現状態にある。…そしてこれだけが、不死であり永遠である。(中畑訳『アリストテレス全集 7』)

 ここに現れている二種類の知性を、アラビア哲学の伝統では2つの異なる存在としてとらえた。能動知性と受動知性である。この解釈は、テオフラストス、アレクサンドロス、テミスティオスらに代表されるギリシアの伝統を引きついだものである。

 二種類の知性の関係を考察するにあたって、アヴェロエスが直面したのは、アリストテレス本人が自分で立てた次のような問いにはっきりと答えていないという点であった。

一般的に言って、活動実現状態にある知性は知性認識されている事象と同一である。しかし、知性それ自身は、大きさ(空間的拡がり)のあるものから分離されていないままで、大きさ(空間的拡がり)のあるものから分離されているものに属する何かを知性認識することははたして可能なのか、それとも不可能なのか。この問題は後に考察されねばならない。(『霊魂論』3巻7章、中畑訳)

 これは難問であった。アリストテレスの質料形相論によれば、霊魂と身体はひとつの結合体をつくっている。同時にアリストテレスは、霊魂が知性認識するとき、霊魂は認識対象の形相となると書いている。しかし質料から分離した形相が、どうやって身体との結合体のうちに実現するのだろうか。

 アヴェロエスの答えは時期によって異なり、著者は4期に分けている。最初期の見解は、『霊魂論摘要』(1158年から1160年頃)にみられる。そこでアヴェロエスはイブン・バーッジャにならい、感覚を基点に想像力のうちに生みだされた表象が可能的に認識対象であり、これを能動知性が現実態にもたらすことで、現実の知性認識が生じると論じた。

 続く段階は『霊魂論中注解』である。この書と『大注解』の時系列上の関係については諸説がある。著者が近年の研究にならってとるのは以下のような説である。まず『大注解』の最初のヴァージョンが書かれた。これが『中注解』執筆に利用された。こうして完成された『中注解』を使用して、『大注解』が改訂され完成する。この完成版が、いま私たちがラテン語訳として有しているものである。

 『中注解』でアヴェロエスは自分の以前の説をしりぞけるようになる。かつての自分は受動知性を想像力と同一視していた。しかしこの同一視は、受動知性を質料と強く結びつけすぎているのではないか。受動知性が特定の質料と結びついてしまうと、あらゆる形相を受け入れることができなくなり、すべてを知性認識できるという知性の機能を果たせなくなる。そこでアヴェロエスは想像力から受動知性を切り離す。受動知性とは人間に特有な性向(disposition)であり、完全に非物質的である。

 ここでアヴェロエスが知性論と宇宙論とのあいだに類比関係を認めていることに注意せねばならない。アヴェロエスは天界に三種類の存在を認めていた。天体、天の霊魂、そして天の知性である。天の回転は、知性の欲求にしたがって、霊魂が天体を動かすことにより生じる。ここで霊魂は天体という基体にある性向であるが、しかし質料的なものとして基体と混じりあってはいない。この天体の霊魂と同じ性質が、人間の受動知性にも認められるというのである。