今ある世界は最善か - ラブジョイ『存在の大いなる連鎖』第2講より

存在の大いなる連鎖 (晶文全書)

存在の大いなる連鎖 (晶文全書)

 思想史の古典中の古典『存在の大いなる連鎖』の前半部分を読み返しました。観念史(history of ideas)の手法のマニフェストとしても知られています。

 今の私の関心にとって重要なのは第2講「存在の連鎖と中世思想における内的対立」です。表題にある「対立」とはある一つの問いをめぐるものです。その問いとはアベラールの言葉を借りれば「神が実際に創ったよりも多くのもの、より良きものを創ることが可能であったかどうか」というものです。

 この問いにイエスと答えた代表的人物にアベラールがいます。彼によれば、善なる神は善なるものしかつくらない。そのためもし世界が今よりも善くなる余地があるとすれば、神は世界に善を与えるさいに出し惜しみをしていることになる。これは神の性質に合致しない。そのため世界は最善であり、今以上に良くなることはない。

 この意見に対する反論として有名なのが、ペトルス・ロンバルドゥスによるものです。もし世界がこれ以上善くはなりえないならば、被造物と創造主が善において同じ水準にあることになってしまう。これは不合理である。そのため世界は最善ではなく、そのため神がそれをより善いものにする余地は残されている。

 私が現在研究しているスカリゲルは、以上の2つの議論を組み合わせて同じ問題に答えようとします。彼によれば神は実際に創ったものよりもより善い世界を創ることはできない。なぜならば善である神は出し惜しみすることなく善なるものを創造するから(アベラール)。しかしこのことは神の全能性を損なうものでもないし、被造物を神と同じ完全さをもつと見なすことでもない。というのも今よりより善い世界があり得ないというのは、神の力の限界に由来するのではなく、被造物側の限界に由来するからである。つまり被造物は神が持つ無限の力と善を受け入れることはできない。もしそれができればそれこそ被造物はもう一つの神(alter deus)になってしまうだろう(ロンバルドゥス)。そのため被造物は最大限神の善性を引き受けた状態で創造されていることになり、そのためこれ以上善くはなりえない。

 スカリゲルはアベラールと同じく神の善性の持つ性質から出発して、アベラールと同じ結論に到達します。一方で被造物が神になることはできないというロンバルドゥスの議論は、当初の意図とは正反対のことがらを論証するために利用されています。