アヴェロエスによる流出論から自然主義への移行 Davidson, Alfarabi, Avicenna, and Averroes on Intellect, ch. 6

Alfarabi, Avicenna, and Averroes, on Intellect: Their Cosmologies, Theories of the Active Intellect, and Theories of Human Intellect

Alfarabi, Avicenna, and Averroes, on Intellect: Their Cosmologies, Theories of the Active Intellect, and Theories of Human Intellect

  • Herbert A. Davidson, Alfarabi, Avicenna, and Averroes on Intellect: Their Cosmologies, Theories of the Active Intellect, and Theories of Human Intellect (New York: Oxford University Press, 1992), 220–57. 

 数多くの写本調査から、広範な著作群をとりあげ、それらを緻密な分析にかけることで、アヴェロエスの学説の変遷を明らかにした研究である。まずは流出論からの離脱を扱った第6章をまとめよう。

 『形而上学摘要』でアヴェロエスはファーラービー、アヴィセンナと類似の流出論を支持していた。すべてを超越した第一原因としての神がおり、そこから第一の知性が流出する。第一の知性からは、最外天球の霊魂と第二の知性が流出する。同じように第二の知性からは、2番目の天球の霊魂と第三の知性が流出する。この過程は月の天球の知性から、能動知性が流出するところまで続く。

 『形而上学摘要』と『自然学小論集摘要』で能動知性は極めて広範な役割を果たしている。まず自然学的な観点から考えるなら、四元素とそれらがつくりだす同質体の形成には能動知性は関与しない。月下界内部の力だけで説明がつく(根拠は『生成消滅論』2巻10章に求められる)。だが動植物の発生のためには、能動知性が関与せねばならない。この解釈をアヴェロエスはアヴェンパケによる『動物発生論』の読みから引き出している。アヴェンパケによれば、アリストテレスは種子(精液)のうちに種子自体からは分離可能な神的な存在を認めており、これが霊魂の起源であるとしている。ここからアヴェンパケは、動植物の発生には神的で非物質的な要因が働いていると考えた。この要因をアヴェロエスは能動知性と同一視したのである。能動知性からの形相の流出は、植物の種子や男性の精液(自然発生の場合には天体の運動)によって質料が適切な状態に達すると生じるとアヴェロエスは考えた。

 しかし形而上学的な観点から考えるなら、四元素と同質体の形成にすら能動知性の関与を認めねばならないとアヴェロエスは主張する。私たちが四元素と同質体を知性認識できる以上、それらの形相もまた知性のうちになければならない。この点ですべての実体の形相は脳同値性に由来する。

 以上の立場をアヴェロエスは修正していく。修正のはじまりがうかがえるのが『動物発生論注解』である。アヴェロエスは外部から能動知性が形相を質料に与えるというかつての自分の見解を、プラトンイデア論にほかならず、無から形相が創造されると考えるに等しいとしてしりぞける。むしろ形相は自然学的な原因によりもたらされると考えねばならない。この原因としてアヴェロエスが挙げるのが「霊魂的熱 soul-heat」である。これが質料に働きかけて霊魂をもたらす。では霊魂的熱はどこからくるのか。アヴェロエスはその起源を「非物質的な力」にもとめた。これは能動知性、あるいはさまざまな天球の動者を指していると思われる。ここでは能動知性からの霊魂の流出という見解は放棄され、霊魂的熱という自然的要因の枠内で発生が説明されている。しかし依然として非物質的な存在が発生に関与するという見解は保持されている。

 この関与の全面的な否定がアヴェロエスの最終的立場となる。『形而上学摘要』に後年挿入された箇所では、まずおよそ流出論が否定される。神はもはや天の知性を超越した存在ではなくなり、最外天を動かす第一の知性が神であり第一原因であるとされる。ただし能動知性が月の天球の下にある知性であるという点は保持される。また動植物のそれも含めて、形相は天体から与えられるという立場が打ちだされる。

 この見解がより詳細に展開されるのが『形而上学大注解』である。そこでは完全に自然的に形相と霊魂の起源が説明される。すべての形相は可能態として第一質料のうちにある。これを引きだす要因は、動植物の発生の場合には霊魂的熱であるとされる。霊魂的熱は種子のうちに親となる植物、ないしは父親によって生みだされる。その際には、太陽とその他の天体から来る熱もまた協力する。こうして霊魂的熱の起源はもはや非物質的な知性な存在には求められず、もっぱら自然学的に説明される。

 同じ説が『破壊の破壊』のなかでもみられる。同著では、世界には霊魂的熱が分散しており、これが微細な物質として霊魂を運んでいるとされている(この見解は新プラトン主義のおケーマの理論に近い)。霊魂的熱という微細物質は、有機体が死亡したのちも一定期間存続し、それゆえ霊魂も一定期間は残存する。私たちは身体よりも少しは長く生きることができる。だがほんとうの不死性は別にもとめられねばならない。私たちの不死性の最大の根拠は私たちが普遍を認識できるという点にある。というのも、普遍を認識するような普遍的な単一の知性があり、これは不死だと考えられるからである(知性単一論)。

 こうしてアヴェロエスのなかで能動知性の役割は縮減していった。当初は動植物の生成原因のみならず、およそ月下界のすべての存在の根拠であった能動知性は、最終的に人間の認識を可能にする存在へと役割を限定されていったのである。