ペトラルカと暗黒の中世 Mommsen, “Petrarch’s Conception of the ‘Dark Ages’”

 この2月からNHK BShiで「ダークエイジ・ロマン 大聖堂」というドラマが放映されるそうです。ここで中世がダークエイジという言葉で指されていることに違和感を覚えている方がいました*1。その違和感の正体はさておき、そもそもダークエイジという言葉で中世を指すようになったのはいつからなのか。やはりペトラルカなのか。そこで次の論文を読みました。

  • 「ペトラルカの『暗黒時代』の概念」Theodore E. Mommsen, “Petrarch’s Conception of the ‘Dark Ages’,” Speculum 17 (1942): 226–42.

 ペトラルカは将来のある時点から、従来のものとは異なる歴史観を抱くようになっていました。中世での記述では、歴史は世界の創造からキリストの誕生までの期間と、その贖罪から現在に至るまでの期間とに分けられていました(極めて大雑把に言って)。対してペトラルカは次のように述べます。

キリストの名前がローマで、ローマの皇帝たちによってたたえられる以前のことは何でも古代と呼び、そこからこの時代に至るまでを現代(novi)と呼びましょう

 ここでは歴史の境目はキリストの誕生ではなく、キリスト教がローマで公認(あるいは国教化?)される4世紀に置かれています。さらにここでは創造以来の歴史という全世界規模の観点は失われ、歴史の対象がもっぱらローマとそれ以後という時間的にも地理的にも限定されたものとなっています。言い換えれば、ペトラルカにとって歴史とは異教ローマの時代たる「古代」と、それ以後の「現代」しかありません。この二つの時代のうち彼が愛したのは前者でした。「あらゆる歴史とはローマへの賛美以外の何だろうか?」それに対してローマがキリスト教化し、蛮族たちの手に落ちて以後の歴史は語るのも耐えられないほどの悲惨なものとされます。

 この「現代」をペトラルカは忘却という闇に覆われた時代と考えました。しかし彼は同時にこの闇がいつの日か晴れるかもしれないと考えていました。彼は『アフリカ』で次のように書いています。

だがもし私のあとにもあなたが長きにわたって生きるならば(私の心はこのことを願い望んでいる)、あなたにはおそらくよりよき時代が待っている。かの忘却の眠りが永遠に続くことはないだろう。闇を散らして太古の純粋な輝きへと子孫たちはおそらく帰ることができるだろう。

 ローマの衰退以後はペトラルカにとって闇に覆われた時代でした。しかしその闇が散らされる時代がいつか来る。そしてもしかすると自分はその入り口に立っているのではないか(「私はあたかも二つの民の境界に位置しているかのようであり、前と後ろを同時に見渡している」)。「ダークエイジ」という呼称は、それがもし人文主義の生みの親に範をとったものならば、ごくごくまっとうなものでしょう。暗黒の中世です。いや、暗黒の現代です。