ルネサンス期イタリアのアリストテレス主義概説 #1 Kessler, Die Philosophie der Renaissance, ch. 4

 比較的新しいルネサンス哲学の概説から、イタリアのアリストテレス主義を扱った章を読みはじめる。ルネサンス期にいたるまでに、アリストテレスの哲学は大学教育と不可分となっていた。そのため、アリストテレス哲学が哲学という営み自体の枠組みを提供するまでになっていた。新理論の提唱者すら、それをアリストテレスの哲学に抵抗するかたちで構築することになった。新たな理論だけでなく、ルネサンス期にはアリストテレス主義の変容も生じた。これは主にイタリアで起きる。人文主義と新プラトン主義の影響下でのことであった。そのきっかけとなったのはまたもやペトラルカである。ペトラルカは中世に作成されたアリストテレスラテン語訳を、もとのギリシア語の典雅さを損なっているにちがいないとして批判した。以後人文主義者たちは新たなラテン語訳の作成を開始する。こうして「真の」「歴史的な」アリストテレスの探求が始まった。当初の関心は倫理学的著作に集中していたものの、15世紀中頃より『機械論』(実は擬作)と『詩学』が再発見され、静力学と美学方面での重要著作となった。アリストテレス主義のさらなる発展をうながしたのが、ギリシア人注釈家の著作の再発見とそのラテン語訳であった。これらはキリスト教的関心から切り離し、またよりアリストテレスに近い時代の目でアリストテレスを読むことを可能にする注釈として高く評価された。

 人文主義と連動するかたちでのアリストテレス主義の変容は15世紀と16世紀に起きた。だがすでにパドヴァを中心に14世紀末より人文主義への反応は起きていた。パルマのブラシウス(1347-1416)は、パリで教育をうけ、フィレンツェではサルターティなどの人文主義者のサークルと交流をもった哲学者である。彼はオックスフォードとパリで発展していた唯名論的な論理学を、イタリアのラディカルなアリストテレス主義(アヴェロエス主義)と調停する役割をはたした。彼は唯名論の立場から概念上の領域と実在の領域を切り離し、後者の探求のための経験の重要さを訴えた。霊魂論のうちでは、人間の知的活動は身体がなくてはできないとし、理性的霊魂は質料と不可分な形相であると主張した。この主張は倫理学にも適合している。なぜなら不死の霊魂を前提とせずとも倫理的要請は意味を持つからだ。人間のあり方としても、大洪水のあとに一定の星の配置のもとで人間が自然発生したと考えられるので、理性的霊魂を物質と不可分としても問題ない。この考えは神学とも結びついている。このような星の影響下で様々な宗教が興亡すると考えられるからだ。こうしてブラシウスは星の影響下にシステム化された世界を構想した。

 Paulo Veneto(1369-1429)もまたオックスフォードで論理学を学び、それをイタリアの自然哲学と調停しようとした人物であった。そのために彼は普遍に関する独自の理論を構築した。霊魂論では『自然哲学大全 Summa philosophiae naturalis』で、アヴェロエスの知性単一説を支持した。というのも、非物質的な普遍を認識するためには知性は非物質的でなければならないのにたいして、個人としての人間が持つ知性はかならず物質と結合しているからである。だが後の『霊魂論注解』においてPauloは、知性単一説は自然哲学上は説得力ある学説だが、それは真理ではないと主張し、個別的霊魂の不死という信仰にかなった学説を理性にもとづく議論によって証明しようとしている。だが彼はこれにより自然哲学と神学のあいだの断絶という古くからの分断を新たに引き起こしてしまうことになった。