- 作者: 土肥恒之
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2012/06/07
- メディア: 単行本
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- 土肥恒之『西洋史学の先駆者たち』中公叢書、2012年、79–115ページ。
日本の西洋史学史を扱った著作から、文化史を扱った部分を読みました。
ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』は戦前に3度日本語に訳されています(1925年、30年、31–39年)。これは日本における文化史への関心の高さを反映したものです。その文化史学に先鞭をつけたのが大類伸(おおるいのぶる; 1884–1975)でした。イタリアを中心とした欧州留学後に東北大学教授となった大類は、1925年に『西洋中世の文化』を出版します(初版『西洋時代史観(中世)』は16年)。これは日本で最初のヨーロッパ中世史の概説で、堀米庸三は「西洋中世史研究の唯一無二の入門書であった」と回想しています(88ページ)。続いて大類は1938年に『ルネサンス文化の研究』と題された論文集を出版しました。大類はそこでダンテ、マキャベリ、ラファエロについて論じるとともに、ブルクハルトについても考察しています。彼によればブルクハルトには歴史を静的にとらえる美術史家としての側面と、偉人による新時代の開拓を重視して歴史を動的にとらえる文化史家としての側面が同居しており、「そこに彼の矛盾があり、悲劇があり、さうして又『伊太利ルネサンスの文化』のもつ魅力も存する」(91–92ページ)。会田雄次は大類のこの本を「わが国におけるヨーロッパ精神史研究に不滅の金字塔をうち立てたもの」と評価しています(97ページ)。また大類の主導で1932年に東北帝大西洋史学科は『西洋史研究』という「西洋史研究」と題された日本で最初の専門雑誌を創刊しています(1940年まで)。
大類の弟子で東北大教授の後任をつとめた平塚博(1900–50)はイタリア史を専攻し、ダンテについての論文や大類と共著で『伊太利史』を著しました。大類が講師をつとめていた京都帝大からもルネサンス研究者が現れました。塩見高年(1911–52)はルネサンスの本質を文芸復興に置かないゲルマニスト流の解釈をしりぞけ、ペトラルカをルネサンスの創始者としています。ホイジンガの「ルネサンス問題」にも言及し、それが中世のなかにルネサンスを埋没させる傾向があると危惧しながらも、問題を複数的にとらえなければならないというホイジンガの見解には同意しています。
大類やその弟子たちとは独立にルネサンス論を展開したのが羽仁五郎(1901–83)です。ルネサンスと中世との境界をあいまいにする研究動向を彼は批判します。「歴史家はさかのぼりたがり、ルネサンスと中世との関係をせんさくする歴史学徒は多い。しかし、ルネサンスとルネサンス以後の近代乃至現代との関連のほうが、歴史学的にはるかに重要な問題である。いわゆるルネサンス前後の『中世』も、ルネサンスと近代乃至現代との主要関係のなかにおいてのみ、歴史的に正しく評価されるのであろう」(111ページ)。
こう言われながらこりずに「中世とルネサンス」というシンポジウムで話そうとしている私はどうすればよいのか。