グーグルブックスは啓蒙の夢をかなえるのか

 2008年10月グーグルが著者と出版社との和解を結んだ直後(2009年2月)に書かれた記事です。筆者のダーントンは啓蒙期の書物史・文化史の専門家で、この記事も啓蒙の理想と現実との矛盾を軸に構成されています。

 18世紀の啓蒙主義の時代には、読み書きさえ出来れば誰でも参加でき、そこでの不平等は能力によってしかつかないという理想の文芸共和国が夢見られていました。夢見られていたと言うのは、もちろん現実はそんな理想的なものではなかったからです。いぜんとして名門層、富裕層の力が文芸界では強く、古くから排他的なギルドが有する特権の網の目がいたるところで人々を絡めとっていました。そのようななかで頭角をあらわし職や庇護を得ようとする者たちは名声を求めて互いに攻撃しあっていました。「人類に反対する貴殿の新著を拝受いたしました。(中略)これを拝読していると、四足で歩きたくなります」(ヴォルテールのルソー『人間不平等起源論』への感想)。

 この理想と現実の矛盾はいまの図書館にも見られます。図書館は「万人に自由に Free to All」との理想を掲げているものの、実際にはとある司書がいってのけた通り司書職というのは「本質的には金と権力に関する職業」です。もちろん前半の理想は単なる建前ではありません。合衆国憲法には著作権特許権は期間限定のもので、それらの権利は科学と有益な技芸の発展を促進するという目標に従属するものとされています。ここからアメリカではイギリスにならって著作権は(14+14年で)28年間保護されるという規定が定められました。しかしこれがいまはミッキーマウス的な力のなせる業で著者の在世期間+70年という莫大な長さになっていることはよく知られています。また学問の専門化にともなって専門ジャーナルが発展すると、それの定期購読権を販売することで儲けることができると考える出版社が現れました。これにより雑誌の価格は莫大なものとなり、従来は50%の予算を書籍購入にあてられていた図書館がいまでは25%以下しか使えないというようなことも起こっています。

 しかし電子的なネットワークは啓蒙主義の理想である知の民主化を実現できそうなところまできているのではないでしょうか。何世紀にもわたって構築されてきた図書館の史料を数百万ドルという価格でデジタル化できるのです。しかしこれは同時に危険をひめています。雑誌でおかしたのと同じ過ちを書籍のデジタル化でおかすかもしれないからです。したがって私たち[憲法を生み出したアメリカ国民]は民主的な形で学問のデジタル共和国を創造しなければならないことになります。

 なぜいま新たな知の民主化が可能だと思われるのか。それはひとえにグーグルが現れたからです。グーグルは研究図書館を使い著作権の切れた本をパブリックドメインに置きました。それのみならず著作権がまだ切れていない絶版本をことごとくスキャンし、それにアクセスする権利を図書館と個人に売り、それを著作権者に還元することで利益を得るというモデルを構築する権利を長きに渡る法廷闘争により勝ち取ったのです。公共機関が手をこまねいているあいだにグーグルはあまりに効果的なスキャンをまず行ってみせて、利潤配分についての法廷からのお墨付きを得てしまいました。こうしてグーグルによる独占が始まろうとしています。どうなるかはわかりません。しかしここでバランスの取り方を間違えてしまっては、「私的な利益が公共の利益に勝ってしまい、啓蒙主義の夢は永遠に逃げてしまうかもしれないのである」。