啓蒙のなかの宗教 Grote "Religion and Enlightenment"

 2003年にAmerican Historical Review誌上で「啓蒙主義、宗教、世俗化の謎」という特集が組まれて以来、啓蒙主義研究のうちで宗教に向けられる関心が増大している。伝統的な史観では、啓蒙主義とは近代の幕開けであり、そこで起きたのは世俗化であるとされてきた。それがここ数十年、18世紀においても宗教は政治、文化、そして人々の日常生活によって重要な役割を果たし続けたという研究が生みだされるようになった。また近代化の流れに必ずしも衝突しない形でキリスト教神学を組み上げようとした「啓蒙された宗教」あるいは「宗教的啓蒙主義」の潮流に着目する研究があらわれた。さらには近代化の根っこを宗教的なものに求めるテーゼが提出された。ウェーバーのテーゼが古典的なものである。その他にもフランスのジャンセニズムやオランダのコクツェーユス派が注目を集めた。

 これらの新たな研究動向のすべては、その議論の一貫性と妥当性を脅かす一つの問題に悩まされてきた。そもそも啓蒙とはなんであり、宗教とはなんであるかについて、いかなる一般的合意も得られていないという問題である。論集『ナショナルな文脈における啓蒙主義』以来、フランスをモデルに啓蒙主義をとらえることは、ドイツやスコットランドでの啓蒙主義を理解するに不十分であることは明らかになっている。そこでそれらに共通する啓蒙主義の特徴を探ろうとする場合、一つにはそれをいくつかの特質の集合としてとらえて定義するやり方がある。しかしそうすると明らかに啓蒙主義があったはずの地域にこの概念をあてはめられなくなる。よりルースに、それら特色のうちのどれかを満たしていれば啓蒙主義と呼べることにし、複数の啓蒙主義があると考えることもできる(ポーコック)。だがこれにより分析概念としての機能は減じる。

 近年の大きな潮流の一つに、啓蒙を単一の原因の帰結と定義する大胆なものがある。なかでもスピノザ哲学を原因とみなすジョナサン・イスラエルのテーゼは巨大な影響力をもつ。彼によれば啓蒙の思想家は二種類に大別できる。一つはラディカルなグループであり、もうひとつは穏健なグループだ。ラディカルなグループはスピノザに由来する体系的で一貫した哲学的立場を保持していた。一元的な形而上学により神学、奇跡、摂理、啓示、そして霊魂の不死性を排除する。倫理的原則が神に由来することを否定する。教会の権威を拒絶する。社会におけるヒエラルキーを認めない。思想の自由と政治的平等性を強力に支持する。これらの考えをスピノザから引き出したラディカルな思想家たちは、フランス革命を引き起こし、その理想を支えることに成る。反対に穏健な啓蒙主義者達はこのラディカルな思想に、従来の社会構造や権威や信仰を保持するかたちで応じようとした(が最終的に失敗した)。このイスラエルのテーゼの正しさは目下論争中である。

 以上のような啓蒙主義の曖昧さに宗教の曖昧さが加わることで、啓蒙主義と宗教という問題設定は常に言葉の定義を中心とする不毛な争いに転化する可能性を有している。それでもなお近代とはなにかを問い、さらに宗教がどれほどに、そしていかなる側面で近代的なものでありうるかを問うためには、啓蒙主義と宗教という問題設定は残り続けるだろうと著者はする。

 そこで著者2006年から2011年のあいだに出された4冊の著作を紹介していく。いずれも18世紀において、イスラエルがいうところのラディカルな啓蒙に向きあいながら、宗教的な思索や営みを独自に展開した知識人や修道士をとりあげている。それらの書物のうちでは旧来の固定的な図式の問い直しが行われている。宗教的保守主義にもラディカルな思想のどちらにも組みさずに、理性的な神学を構築しようとした神学者たちがいた。理性はフィロゾーフの専売特許ではない。逆にトマジウスは独特の救済論から、理性をもって信仰について教義をうちたてることの不毛さと、そこにみられる聖職者たちの権力への欲望を攻撃した。理性に基づいているという理由でルター派が批判されていたのだ(なおトマジウスはしばしば考えられているような世俗主義者ではない)。またソルボンヌのイエスズ会は反動的勢力の代表格とされているものの、そこには元来ロックとマルブランシュを基礎にした新たな神学を構築する流れがあった。この可能性が絶たれることになったのは、議会に勢力を有していたジャンセニストとの対立のためであった。

 これらの研究がしめしたように、インテレクチュアル・ヒストリアンの議論の領域に神学や宗教を含めることは必要であり、それによって啓蒙主義研究はより深化することになると著者はみなしている。

関連書籍

 とりあげられているのは以下の4冊。

The Rise and Fall of Theological Enlightenment: Jean-Martin de Prades and Ideological Polarization in Eighteenth-Century France

The Rise and Fall of Theological Enlightenment: Jean-Martin de Prades and Ideological Polarization in Eighteenth-Century France

Enlightened Monks: The German Benedictines 1740-1803

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