アリストテレス自然哲学の伝統

The Dynamics of Aristotelian Natural Philosophy from Antiquity to the Seventeenth Century (MEDIEVAL AND EARLY MODERN SCIENCE)

The Dynamics of Aristotelian Natural Philosophy from Antiquity to the Seventeenth Century (MEDIEVAL AND EARLY MODERN SCIENCE)

  • 作者: Cornelis Hendrik Leijenhorst,Christoph Luthy,J. M. Thijssen,Cees Leijenhorst
  • 出版社/メーカー: Brill Academic Pub
  • 発売日: 2002/07/01
  • メディア: ハードカバー
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  • Christoph Lüthy, Cees Leijenhorst and Johannes M.M.H. Thijssen, "The Tradition of Aristotelian Natural Philosophy: Two Theses and Seventeen Answers," in The Dynamics of Aristotelian Natural Philosophy from Antiquity to the Seventeenth Century, ed. Lüthy, Leijenhorst and Thijssen (Leiden: Brill, 2002), 1–29.

 古代から1700年まで、さらにはそれを超えて広がるアリストテレス自然哲学の歴史に接近するには二つの前提をおいておかねばなりません。第一に、「アリストテレス的な」という言葉を何らかの定義的な本質を指し示す言葉としてとることができないということです。ホッブズが批判の対象にし、デカルトが自らの哲学をそこから断ち切った(ようにみせかけた)一枚岩のアリストテレス主義スコラ学のようなものがあったと想定してはなりません。古代には新プラトン主義者がアリストテレスの注釈を書いています。中世ではアリストテレスを正しく解釈したのは誰か(たとえばアヴェロエスなのかアクィナスなのか)というところで意見が別れています。この分裂状態はギリシア人注釈家の著作が発見されることで更に激しくなりました。また反アリストテレス主義者を自称する者にも、明確にアリストテレス主義の術語を用いている者がいました。反対にアリストテレス主義者を自称していながらそのような術語をそれほど使わないものもいました。要するにアリストテレス主義自然哲学の定義を定めるとすれば、それはせいぜい自然界についての思考をアリストテレスの自然学関係の著作を基礎に行うという程度のものになります。

 第二の前提は伝統的な時代区分がアリストテレス自然哲学の歴史の分析には有効でない場合が多いということです。ルネサンスであろうと1500年代であろうと1600年代であろうと、大学での自然哲学の教育はアリストテレスに基づいていました。

 ただ本質的な定義が困難であるとはいっても、どこを超えればある哲学はアリストテレス自然哲学と呼べなくなるのでしょう。この問を立てることで、自然哲学がどのような意識のもとで実践されていたかが変化していることが見てとれます。15世紀、16世紀には、アリストテレスの自然学関係の著作に注釈を加える営みはそのつど目の前の問題を探求するという性格の強いものでした。これに対して16世紀の後半から現れる哲学教科書には強い体系への志向が見られます。この体系性が強い魅力と教育的意義を有していたからこそ、デカルトは新たな体系でそれをひっくり返そうとしたわけです。ただこの体系構築への反動が再び啓蒙期に起こるわけですが。

 もちろん体系性を志向するからといってアリストテレス自然学が硬直的であったわけでは必ずしもありません。それは宗教上の要請や新たな経験的発見の成果を取り込んで状況に自らを適応させることができました。このような多様な解釈をアリストテレスの自然学関係の著作が生み出すことができたことにはいくつかの理由があります。第一にアリストテレスの翻訳過程で幾つもの訳が現れ、別種の訳語が形成されていてこれが解釈の多様性につながりました。第二にアリストテレスの様々な文言を整合的に解釈しようとすることが新たな解釈を産みます。これは極端な場合はデモクリトス化されたアリストテレスというような考え方を生むにいたりました。第三にアリストテレスが重点的に論じていないところを補填することが新たな解釈を産みます(たとえば投射体の運動)。第四に今では偽作と考えられている著作がアリストテレスの著作とみなされることで異なる知的潮流から来る要素がアリストテレス解釈に紛れ込みました。第五にアリストテレスの諸著作を形而上学の原理から導き出される演繹的体系として解釈しようとすることが、新たな理論構築を促しました。第六にアリストテレスを他の哲学的権威(プラトンとか)と調和させようとすることが学説の拡張を引き起こします。第七にプトレマイオスとガレノスの科学にアリストテレスの哲学から原理を与えようとすることがこれまた拡大解釈をもたらしました。第八にそもそもアリストテレスへの注釈とか類似のフォーマットを使って自分の哲学的意見を提示しようとする者がいました。これらに加えて制度的・宗教的・社会的要因が作用することで多様なアリストテレス自然哲学が生み出されました。

メモ

 ルネサンスアリストテレス主義についてのシュミットの研究は、アリストテレス主義の多元性を明らかにし、その多元的なアリストテレス主義の土壌が従来の知的巨人たちが対決した思想的背景として認識されるようになりました。こうしてデカルトホッブズライプニッツをその思想的文脈に差し戻して理解するということが盛んに行われるようになっています。