ルネサンスのアリストテレス主義と人文主義

The Cambridge Companion to Renaissance Philosophy (Cambridge Companions to Philosophy)

The Cambridge Companion to Renaissance Philosophy (Cambridge Companions to Philosophy)

  • Luca Bianchi, "Continuity and Change in the Aristotelian Tradition," in Cambridge Companion to Renaissance Philosophy, ed. James Hankins (Cambridge: Cambridge University Press, 2007), 49–71.

 新しめのルネサンスアリストテレス主義の概説です。アリストテレス主義が13世紀にピークを迎えて、それ以降は下り坂という見立ては今ではほとんど支持されていません。このブログでも再三再四強調してきたように、1500年代でも1600年代でもアリストテレスは一番読まれていた哲学者でした。その原因の一つは彼の著作ほどに教育の素材として適したものがなかったことにあります。プラトンの対話篇は教育に向かないと、プラトンに好意的な人物ですら認めていました。

 ルネサンス期には人文主義者たちが本来のアリストテレスに立ち戻ろうという運動を起こします。キケロやクィンティリアヌスはアリストテレスの文章が美しいと書いている。しかし自分たちが手にしているアリストテレスの文章はあまりに醜い。なんでだ。これは中世の翻訳者たちのせいだ。ギリシア語に立ち返り、逐語訳ではなく文書の意味をくみとって、古代以来使われている由緒正しいラテン語を使ってアリストテレスを訳せば、きっと美しくなるにちがいない。この壮大な誤解がアリストテレスの翻訳運動を(再度)引き起こします。もちろん人文主義者たちの運動は必ずしも成功したわけではありません。長らく用いられきて、教育や思考の核心にまで浸透しているような術語を置き換えるというのは容易ではないのです。というわけで中世以来の翻訳の多くは使われ続けていました。

 人文主義者たちの運動はアリストテレスとその著作を歴史的産物としてとらえることを可能にしました。著作の執筆順序、その伝承過程に注目があつまると同時に、書かれていることをアリストテレス当時の歴史状況に即して読むこと(スコラ学の読み方と対比されました)、アヴェロエスや中世の注釈家ではなくアリストテレスと文化を共有していた古代のギリシア人注釈家(1400年代終わりからラテン語への翻訳がはじまっていました)を参照しながらアリストテレスを解釈することが推奨されました。

 人文主義者たちにより古代の諸学派が復興させられたことにより、アリストテレスは唯一の哲学者から数多くの哲学者のうちの一人になったことは確かです。多くの批判が彼とその追随者に寄せられました。しかしそれでもなおアリストテレス主義は状況の変化に即して自らを適応させる柔軟さを持っていました。たとえばプラトン主義との調和がめざされましたし、磁力に関する新たな知見がアリストテレスの哲学体系のうちに取りこまれるということが起こりました。社会的な状況がアリストテレス主義に決定的影響を与えた例としては、新大陸の住人を奴隷化する理論的根拠が『政治学』から引き出されたというものがあります。

 最後に著者はポンポナッツィからザバレラにいたるまでのイタリアのアリストテレス主義者たちが、宗教改革により分裂したヨーロッパのなかで、理性の真理と宗教の真理を混同することを避け、自然哲学者として語ることで哲学の自律性を確保していたことの重要性を指摘して論を結んでいます。