神を前にした投機 イギリス鉱山事業にみる営利と公共善

 経済史と文化史を交差させる事例分析を通してポーコックのテーゼに挑戦する野心的かつ優れた論考を読みました。英国では金融革命が1690年にその頂点を迎えます。この革命における土地持ち紳士(landed gentleman)の果たした役割には、一つの両義性がつきまとうと歴史家たちはみなしてきました。一方で彼らが投機的な取引に参与し、社会の商業化・工業化に貢献したことは疑いえません。しかし他方で主としてトーリー党や地方の地主であった彼らの価値観は権力と余暇と独立精神を確保して公共善に寄与すべしというものであり、これが金融や商業と両立しがたいということが指摘されてきました(ポーコック)。このため土地持ち紳士たちの金融革命への参与は、彼らが私的利益の追求のために理想を犠牲にした結果であると社会史・経済史家は考えるようになりました。

 本当に土地持ち紳士の理念と金融・商業は両立不可能だったのでしょうか。Humphrey Mackworth卿(1657–1727)が17世紀末に起こした事業の事例を検討すると異なる構図が見えてきます。妻の家庭が営んでいた鉱山事業を拡張するためにMackworthが1698年に起こした事業は富くじにより大量の資金を集めたものの、最終的には株主への配当金などが支払えなくなり、1710年には当のMackworthが会社経営から追放されるという事態にいたりました。これは貪欲な発起人(projector; 侮蔑的なニュアンスがあった)の末路として同時代人に認識されることになります。

 しかしMackworthとその周辺が残した資料を仔細に検討すると、その事業を単なる無謀な投機として片付けることができないことが明らかとなります。Mackworthと関係者は自分たちの事業は敬虔さ、利益、公共サービス(piety, profit, public service)を達成するものと宣伝しました。鉱山事業が公共サービスであるのは、それが貧しい者を雇うことを可能にするからです。加えてMackworthは主として鉱夫の子供たちを対象として2つのチャリティースクールを援助するという慈善活動も行いました。これらの活動に具現化されている公共サービスとしての鉱山業という理念は、Mackworthの宗教観の反映でもありました。彼は神が自分に鉱山業を行うチャンスを与えたのだから、自分にとって貧しい人を事業により支援することは義務(duty)だと日記に書き残しています。このMackworthの考え方は同時代の英国で進行していた宗教的観点から慈善活動が盛んにおこなわれるようになっていた事態と重なります。

 しかし事業が行き詰まるとMackworthは虚偽の事業報告書を提出するという、およそ神の意にそまないようなことをせざるを得ませんでした。そこで彼は日記に罪を犯したことにたいする後悔の念と改心への決意を記しました。利益のために虚偽の報告を書くということですら、Mackworthの宗教的内省の契機となっていたのです。投機と彼の理想は無縁ではありえませんでした。

 高位の土地持ち紳士が大規模な事業を起こし、しかもそれを倫理的に正しいものとみなしていたという事例があることは、土地に根ざす理想と商業・金融とのあいだの二分法の正当性を疑問視させるものです。Mackworthは自己利益のために理想を優先させたのではありません。むしろ事業を行うことによってこそ彼は自分のなすべきことができると考えていました。この世における営利事業により貧者の雇用や慈善事業を行うことで、神の目に恥ずかしくない行いができると彼は確信していたのです。起業を “godly public service” とみなすMackworthの事例が示すのは、19世紀のイギリスやアメリカの市場文化を検討するさいに、宗教や倫理(それらは必ずしも商業・金融と対立するものではない)が果たしていた役割を精査する必要性です。現代の資本主義というのは、一見すると市場の外部にありそれに批判的であるかのようにすら見える宗教的・倫理的理念や実践によって形作られた可能性があるのですから。

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