ヨーロッパキリスト教世界の相対化

  • 小澤実「後書きにかえて」『クリオ』22号別冊、2008年、153–162頁。

 池上俊一『ヨーロッパ中世の宗教運動』を支える2つの前提についての著者(小澤)の見解を述べた論考です。第一に池上が近年の史料論の隆盛が通史への忌避感と表裏一体をなしていることに危機感をおぼえていることがとりあげられます。しかしこれは通史の忌避というよりも、あるべき通史を求めたことの帰結だと著者は主張します。学部時代から手稿や漢籍の読解作法を仕込まれる国史東洋史と異なり、西洋史の領域では史料読解にとりかかる年次が遅れ、しかもこの差は時と共に拡大する。その結果史料を十分に読み込んでいない者が通史を書くという奇怪な現象が見られるようになった。このようなかつての現実に対して、まずは西洋史学の本場で十分通ずるようなモノグラフを仕上げて(その中核には史料論がある)、その上で通史を書くべきではないかという意識が共有されているし、そのようなステップが踏まれるべきであると著者はします。

 第二に、池上が『宗教運動』のなかで想定しているヨーロッパ像が、自己完結的であり、ともすれば閉鎖的ではないかという問題提起がなされます。池上の考えるヨーロッパとは、フランス、北イタリア、ドイツ西部が中核にあるキリスト教世界です。ここは紀元1000年頃に成立する「ロマネスク精神」が強く現れるすぐれて中世的世界であるともされます。これにたいして著者は、ヨーロッパキリスト教中世世界という分析枠組みは少なくとも3つの方面から相対化され、それにともない自己完結した世界としてとらえることが困難になっているのではないかと主張します。第一に、ヨーロッパをユーラシアシステムの一部として記述する動向があります。第二に、ユーラシアという陸だけでなく、海を通じてもヨーロッパは常にアフリカ大陸と交易を行ってきたという歴史的事実を見逃してはなりません。第三に、中世キリスト教世界というくくりだしが、宗教改革による中世世界の終焉という見方に規定されたものであり、これは相対化されねばなりません。欧州の多くの部分はカトリックでした。断絶史観が根強いのは、明治期にドイツ、イギリス、アメリカというプロテスタント国から西洋文明を受容したことの帰結かもしれません。

  • 小澤実「西洋中世の民衆宗教運動:グルントマン以降」『クリオ』22号別冊、2008年、9–17頁。

 池上俊一『ヨーロッパ中世の宗教運動』のヒストリオグラフィ上の位置づけを見定めるために、ドイツ、アメリカ、イギリス、イタリアでの中世の民衆的宗教運動研究の動向をたどった論考です。ヘルベルト・グルントマンにはじまり、エティエンヌ・ドラリュエル、ノーマン・コーン、ローバーと・ムーア、ジャイルズ・コンスタブル、キャロライン・バイナム、アルノルト・アンゲネントらの研究が記述されています。

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