太宰治の共産党入党 - 絓秀実 『1968年』から

 絓秀実 『1968年』を読みました。

1968年 (ちくま新書)

1968年 (ちくま新書)

 読んだとはいっても、本書の内容について論評することは私にはできません。本書に対する質の高い論評は、下記のブログで読むことができます。

 私が今日書きたいのは、太宰治(1909-1948)と共産党との関係を述べた以下の箇所についてです。これには驚かされました。

 戦後共産党の幹部であり、その文化部門の責任の地位にあった増山太助の『戦後期左翼人士群像』(柘植書房新社、2000年)によれば、太宰治は戦後すぐに共産党に(再)入党している様子である
(中略)
 太宰が戦後に共産党に入党したという「事実」に即した文学研究や批評は、私見の及ぶ限り、いまだ存在しない。
 太宰は、戦前における共産主義からの転向のやましさを戦後に持ち越し、それが太宰の文学の特徴をなしているという、奥野健男の『太宰治論』以来の理解が、いまだ支配的である。
 おそらく、現代の文学研究者・批評家は増山太助の証言を知らないのであろう。
 そして、この共産党員=太宰という事実を踏まえれば、その文学に対するイメージも大きく変更を余儀なくされるに違いない。(112-113頁、強調引用者。)

 太宰入党の事実に驚いた人は私だけではないようです。

 私が読んだことのある太宰治論といえば、加藤典洋氏の「戦後後論」くらいしかありません(『敗戦後論』、ちくま文庫、2005年に収録)。あとはこの加藤氏の論考を受けて大澤真幸氏が書いた『戦後の思想空間』や、「トカトントンをふりはらう:丸山真男太宰治」くらいのものです。
 太宰をめぐる加藤氏の議論は、おおよそ次のようなものです。太宰治が戦後執筆した小説には、この小説がもし戦中に書かれていたら、もっと私たちを感心させただろうな、というものがない。その意味で、太宰が戦中に書いた小説と、彼が戦後に書いた小説とのあいだには違いがない。
 これは何を意味するのかといえば、思想を誤ることのない思想として事後的に語ることを、太宰が拒否しているということである。戦争について戦後という時代から事後的に語ることによって、確かに人は誤ることのない思想を語ることができる。しかし、太宰は誤りえない思想よりも、戦中に語られるような誤りうる思想の方に価値を見出した。
 ではどうして太宰は誤りうる思想の方に価値を見出したのか。現時点で私は、加藤氏の論考からこの点についてはっきりとした論理を読み取ることはできていません。この「戦後後論」は難解な文章なので、私の読解力では対応しきれないのです。
 とはいえ、加藤氏が述べているように、戦争が終わった後になってから、その時代の追い風を受けた書き方をすることに、太宰が抵抗を覚えていたことは確かなことだと思います。
 1946年に書かれた『返事』という作品には以下のように書かれています(青空文庫)。

 私たちは程度の差はあっても、この戦争に於いて日本に味方をしました。馬鹿な親でも、とにかく血みどろになって喧嘩をして敗色が濃くていまにも死にそうになっているのを、黙って見ている息子も異質的(エクセントリック)ではないでしょうか。「見ちゃ居られねえ」というのが、私の実感でした。
(中略)
 はっきり言ったっていいんじゃないかしら。私たちはこの大戦争に於いて、日本に味方した。私たちは日本を愛している、と。
 そうして、日本は大敗北を喫しました。まったく、あんな有様でしかもなお日本が勝ったら、日本は神の国ではなくて、魔の国でしょう。あれでもし勝ったら、私は今ほど日本を愛する事が出来なかったかも知れません。
 私はいまこの負けた日本の国を愛しています。曾(か)つて無かったほど愛しています。早くあの「ポツダム宣言」の約束を全部果して、そうして小さくても美しい平和の独立国になるように、ああ、私は命でも何でもみんな捨てて祈っています。

 このように自分が日本を愛して戦争に協力したことをみとめた後で、この手紙の書き手は敗戦以後のジャーナリズムのあり方を批判します。

 私はいまジャーナリズムのヒステリックな叫びの全部に反対であります。戦争中に、あんなにグロテスクな嘘をさかんに書き並べて、こんどはくるりと裏がえしの同様の嘘をまた書き並べています。
(中略)
 私はいまは保守党に加盟しようと思っています。こんな事を思いつくのは私の宿命です。私はいささかでも便乗みたいな事は、てれくさくて、とても、ダメなのです。

 戦争中に戦争賛美の文章を書いていたジャーナリズムが、敗戦後には軍閥官僚を攻撃していることに手紙の書き手は抵抗を覚えています。そのような時勢に便乗するくらいならば、あえて保守党に加盟することを選びたいと。
 また『返事』という作品には、「ヒステリックな科学派、または『必然組』」という言葉が現れます。この言葉は、科学的社会主義にもとづいて歴史の必然を知っていると称していた日本共産党に対する当てこすりです。
 したがって、『返事』の書き手は、ジャーナリズムであれ、日本共産党であれ、敗戦後の時勢に便乗していると思われる勢力のすべてに抵抗を覚えているといえます。
 この『返事』に現れる手紙の書き手を、太宰本人とどれだけ同一視することができるかは私には分かりません。ただ、もし同一視できるとするならば、太宰が敗戦後に共産党に入党していたという事実は衝撃的なものになります。少なくとも『返事』の書き手の考えは、時勢に便乗している共産党に入るくらいから、保守党に加盟してやる、というものだからです。このような文章を書きながら共産党に入党するというのは、にわかには理解しがたい行動です。
 もし太宰が敗戦後に共産党に入党していたことが事実ならば、この『返事』を含めた太宰の戦後の諸作品の解釈は変更せざるを得なくなります。また、戦争中と戦争後で太宰には変化が見られないという加藤氏の太宰論(とその太宰論にもとづいた大澤氏の議論)についても、何らかの補いが必要になってきそうです。
 共産党に入党しながら『返事』のような作品を書くのも、太宰ならありかなとは思ったりもするのですが、どうでしょうか。研究の進展を待ちたいです。

戦後期 左翼人士群像

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敗戦後論 (ちくま文庫)

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戦後の思想空間 (ちくま新書)

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