creatio continua (continens)

 例によって研究メモ。

 神による摂理を説明するために、しばしばしばしば「継続的創造 creatio continua (continens)」という言葉が用いられます。世界を創造した神が、その後も世界に関与しており、それは創造の行為が続けられていることを意味する。こんな感じです。

 これとほぼ同一の学説をデカルトが『省察』や『哲学原理』で行っています。「事物の保存は事物の創造とただ観点の上でのみ異なる」(A.T., 7:49, 243)。

 Gilsonによれば、この考えはスコラ哲学にも登場します。トマス・アクィナス曰く「神は同じ行為によって事物を産出し、事物を保存している」(Gilson, Index scolastico-cartésien, 62)。

 そして上記Methuen本によると、継続的創造という考えはルターとメランヒトン、及び彼らに続く神学者たちによっても認められていたようです(107-18頁)。

 これほど広く、しかも異なる文化的背景にわたって用いられている以上、継続的創造という考え自体はありふれたものにすぎず、とりたてて特徴的な思想の存在を支持するものではないようです。とすると問題はこの考えが(アダムさん風に言うならば)あるシステムの中でどのような位置を占めていたかになります。

 デカルトほど突飛な用い方をするとその特徴はすぐにわかるのです。一方、ルター主義者たちによる「継続的創造」という考えの使用にどのような特徴があるのかと言われると、各論者ごとに意見の幅があって容易にはまとめられないようです。

 ところで、創造論に関してはこんな恐ろしい2巻本が出ている模様。

  • 『創造』 Christian Link, Schöpfung (Gütersloh, 1991).

 600頁以上あります。第2巻は20世紀の話なのでとりあえず置いておくとして、第1巻は「Schöpfungstheologie in reformatorischer Tradition」ということで重要そうです。継続的創造についても述べられているらしい。