宇宙外の空虚の起源 Grant, Much Ado about Nothing, ch. 5

 

  • Edward Grant, Much Ado about Nothing: Theories of Space and Vacuum from the Middle Ages to the Scientific Revolution (Cambridge: Cambridge University Press, 1981), 105–115.

 前近代の場所と空虚に関する理解についての基本中の基本書から、宇宙外の空虚について論じた箇所を読む。分析の正確さ、表現の的確さ、複雑な流れをまとめる構成の巧みさに、読んでいて幸せな気分になる。まずは、宇宙外の空虚についての議論のルーツを探る章を読む。

 アリストテレスは、『天界について』のなかで「同時にまた明らかなのは天の外には場所も空虚も時間もないということである」としている。アリストテレスによれば、空虚があるためには、そこに物体がある可能性がなければならない。しかし天の外には物体がありえないのだから、空虚もありえない。

 すでにアリストテレス以前に、ピュタゴラス派が宇宙の外側に無限の領域を認めていた。

ある人たちは、たとえばピュタゴラス派やプラトンがそうであるが、無限なるものをそれ自体として存するもの、すなわちそれとは異なる何か別のものに付帯してではなく、まさにそのものとして存する基本存在(実体)だとしている。ただし、ピュタゴラス派の人たちはそれを感覚される事物のうちにあるものとし(というのは、彼らは数というものを事物から切り離すことをしないからであるが)、また宇宙の外側の領域をも無限だとしているのに対して、プラトンは、宇宙の外側には何らの物体も存在せず、また諸イデアも―それらはどこかに存在するというものではないのだから―やはりそこに存在しないとしつつ、しかし感覚される事物のうちにも、かのイデアのうちにも無限なるものがあるとしている。(アリストテレス『自然学』第3巻第4章、203a4–10、内山勝利訳『新版アリストテレス全集』第4巻、岩波書店、2017年、130ページ)

アリストテレスによると、ピュタゴラス派はこの空虚を、無限の気息(プネウマ)ととらえていた(アリストテレス『自然学』第4巻第6章)。またシンプリキオスの『自然学注解』のなかには、ピュタゴラス派のアルキタスが、宇宙の外側に物体の存在しない空虚が際限なく広がっていると論じている箇所が引かれている。

 シンプリキオスの『自然学注解』は中世ヨーロッパでは利用できなかったのに対して、彼の『天界について注解』は利用できた。そこでシンプリキオスは、ストア派が宇宙外に空虚を認めていたと報告している。

ストア派の人々は宇宙の外側に空虚があると言おうとして、そのことを次のような想定を通じて確証している。すなわち、恒星天球の縁に誰かが立って手を上に伸ばすとしよう、と彼らは言う。もし伸ばす[ことができる]なら、宇宙の外に何かその人がその中に手を伸ばしたところのものがあることがわかる。だが伸ばすことができないなら、そのことによっても、手を伸ばすことを妨げるものが何か外にあることになる。さらにもしさらにそのものの限界に立って手を伸ばす場合にも問いは同様になろう。それの外にも何らかの存在があることが示されることになるだろうからである。(シンプリキオス『アリストテレス天界について注解』284–285;SVF2:535、山口義久訳『初期ストア派断片集』第3巻、京都大学学術出版会、2002年、16–17ページ)

ストア派は、この宇宙外の空虚は無限であると考えていた(SVF2.535b)。

 宇宙外の無限の空虚についての以上の議論は、自然学的なものであり、ユークリッド幾何学的な空間を、この世界に適用した結果ではないということに注意が必要である。

 宇宙外の無限の空虚が中世で議論になったのは、1277年の禁令以降であった。禁令では、神の絶対的な力を制限するかに思えるような命題が断罪されている。その中には、次のようなものがあった。

第一原因は多数の世界を造ることはできない。(八木雄二、矢玉俊彦訳『中世思想原典集成』第13巻、平凡社、1993年、655ページ)

神は直線運動によって天を動かすことはできない。その理由は、直線的に動かすとすると、[動かした後に]空虚を残すことになるからである。(659ページ)

神が多数の世界をつくるなら、世界と世界を隔てる空虚がなければならない。神が世界を直線的に動かすなら、それは空虚を後に残し、かつては空虚であった場所に行くのでなければならない。こうして、神の無限の力によって〜が実現されたならば、という形で、宇宙外の空虚について論じることが行われるようになった。

 中世で宇宙論的な空虚が論じられたもう一つの文脈は、世界の永遠性と関係していた。アリストテレスは、『天界について』で次のように論じていた。

だがあらゆるものに生成があるわけではなく、いかなるものにも絶対的な意味での生成はないということは以前に論じられたところからして明らかである。すなわち[物体とは]個別された空虚もありうるのでなければ、いかなる物体の生成もありえない。今から生成するものがもし生成するとしたらそこに生じるであろう場所には、それ以前はいかなる物体もないのだから、必然的に空虚がある。或る物体が別の物体から、たとえば空気から火が、生成することは可能だが、しかし先在する他のいかなる大きさからでもないというのはまったく不可能である。(アリストテレス『天界について』第3巻第2章301b31–302a9、山田道夫訳『新版アリストテレス全集』第5巻、岩波書店、2013年、155–156ページ)

ここから、もし無からの生成があるなら、それ以前には空虚がなければならないという議論が取り出せる。これをアヴェロエスは世界の生成と結びつけた。もし世界が無から創造されたならば、それ以前には空虚がなければならない。アリストテレスアヴェロエスにしてみれば、空虚がありえないのだから、無からの創造(「絶対的な意味での生成」)はありえないのだった。

 中世で無からの創造を否定するのは難しかった。同時に、創造前の空虚を認めることも簡単ではなかった。1277年の禁令は次の命題を断罪している。

世界が全体的に産出されるとすると、空虚があることになる。なぜなら、場所は場所の内に生み出されるものに必然的に先立ち、また世界が全体的に産出されるとすると、世界が産出される前に、置かれているものが何もない場所、つまり空虚があったことになるからである。(673ページ)

創造前の空虚が警戒されたのは、それが神から独立に永遠に存在するものとみなされかねないからである。ここから、創造前の空虚がなくても神は世界を創造できるという学説が唱えられた。この学説はとりわけ13世紀に広く支持された。

 しかし14世紀に入ると、創造前の空虚を、なんらかのかたちで神自身と結びつける解釈が現れる。確かにこのように解釈しなければ、永遠なるものを認めることはできないだろう。このように創造前の空虚が神と関連させられるようになると、この問題は神の場所という論点とつながりをもつようになる。神は遍在すると考えられていた。だとすると、創造前にはどこにいたのだろうか。

 神の場所についての議論の基本的な枠組みは、ユダヤキリスト教の伝統によって与えられた。アレクサンドリアフィロンは、神を場所と同一視している。

[神は]如何なるものによっても包括されないだけでなく、あらゆる万物が逃げ込む地である。何故なら、この方は自らを受け入れる自らの場であり、また自らによってのみ満たすからである。さて、私[フィロン]は場所ではなくて、場所の中にいるのであって、[他の]各々の事物も同様である。もちろん、包括されるものは、包括するものから区別される。しかし、何ものによっても包括されない神的なものは、必然的に自ら自身の場所なのである。(フィロン『夢』1.63–64、津田謙治訳『神と場所』知泉書館、2021年、35ページ)

以後のラビ文献でも、神は世界の場所だと述べられている。

 初期のラテン教父も神の場所についてある程度論じているものの、この問題について深く考察していた様子は見られない。にもかかわらず、教父たちのそれ自体としては簡潔極まりない言明が、後の時代にはこの問題についての重要な典拠として引かれるようになる。

 とりわけ重視されたのがアウグスティヌスの言明であった。アウグスティヌスは、天地が創造される前に、神は「自らのうちに」いたと主張していた。この主張により彼は、宇宙外の空虚の存在を否定していた。しかし彼の言明は、宇宙外の空虚を拒絶するためだけでなく、それを正当化する論拠としても用いられるようになる。

 またアウグスティヌスは、『神の国』第11巻第5章で、神を創造者と考える「かれら」[プラトン主義者たちのこと]について、次のように述べている。

それらの人びとは神の実体もある場所に制限することもなく、限定することもなく、またひろがらせることもなく、神について考えることがふさわしいように、神の実体は、非物体的なものではあるが、いたるところに全体として現存することを認めながら、神の実体は世界以外のあのような広大な空間には存在せずに、ただ一つの、かの無限の空間に比べるとじつに狭小な場所に、すなわち、世界がある場所にあるにあるというのであろうか。わたしが、かれらがこのような空言を弄するだろうとは思わない。(アウグスティヌス神の国』第11巻第5章、服部英次郎訳、岩波文庫、1983年、第3巻、20ページ)

無限の空間があるならば、そこにも神(ないしなんらかの霊)がいるはずだという考えを、アウグスティヌスは『アスクレピオス』から取ったのかもしれない。『アスクレピオス』は空虚の存在こそ否定されているものの、もし宇宙外に空虚があるならば、そこは知性的な諸事物(intellegibilium rerum)によって満たされているはずだ、としている(第33節)。ここから、宇宙外にある空間は物質ではなく霊的なものによって満ちているという考えが生まれたのかもしれない。

 最後に、神の場所の問題は、ペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』第1区分第37章でも取り上げられている。ロンバルドゥスは、「いかなる仕方で、神は事物のうちにあると言われるか」を問題にしている。この箇所が、神の場所についての議論の出発点となった。