最終稿作成 - その4

 ガリレオ・ガリレイの『天文対話』で「神」という言葉が使われている箇所を調べました。英語訳の索引にはGodの項目はありませんが、日本語訳には「神」の項目があって便利です。しかし、そのどこでも神が幾何学者であるとは書かれていません。神が幾何学者と言われていないどころか、そもそも『天文対話』中では「幾何学者」という言葉が一箇所でしか使われていないのです*1。『新科学論議』も見ないといけないか。

→『新科学論議』で「幾何学者」という言葉が使われているのは2回だけで両方とも神とは関係ありませんでした*2。また「神」という言葉は一度しか用いられておらず、それもまた幾何学とは無関係です*3

 うーむ。とりあえず有名どころとしては『偽金鑑識官』の次の一節。

 哲学は、眼のまえにたえず開かれているこの極めて巨大な書物(私は、宇宙のことを言っているのです)の中に書かれているのです。しかし、まずその言語を理解し、そこに書かれている文字をわかろうとして習得しないかぎり、理解できません。その書物は数学の言語で書かれており、その文字は三角形、円およびその他の幾何学図形であって、これらの手段がなければ、人間の力では、その言葉を理解できないのです。それなしには、暗い迷宮を虚しく彷徨うだけなのです。(『偽金鑑識官』6節。高橋憲一、『ガリレオの迷宮』、共立出版、2006年、415頁より引用。)

 自然という書物は数学の言語で書かれていて、その文字は幾何学図形だといわれています。ただ神は登場しません。

 もう一つ重要そうなのはガリレオがBenedetto Castelliに宛てた手紙、及びクリスティーナ大公妃に宛てた手紙です。内容はほとんど同じなのでここでは後者から引用。

 [...] the Holy Scripture and nature both equally derive from the Godhead, the former as the dictation of the Holy Spirit and the latter as the most obedient exectrix of God's orders [...].
 [...] finally, God reveals Himself to us no less excellently in the effects of nature than in the sacred words of Scripture [...]*4

 しかしこれも幾何学とは直接的には関係ありません。あとこの書簡をガッサンディが読んでいたかどうかもなぞです。ただCastelli宛て書簡は広く回覧されていたようなので、見ていた可能性はあります。

→要するに

 査読者は幾何学者としての神というイメージは、ケプラーの著作と同じくらいガリレオの著作にも現れていると断言しています。しかしこのようなイメージは二大主著である『天文対話』にも『新科学論議』には見られません。『偽金鑑識官』の有名な一節も神が幾何学者と明言してはいません。またガリレオが聖書と自然学の関係を最もはっきり述べているCastelli宛て書簡にも幾何学者としての神というイメージは登場しません。
 こうなると査読者が何を根拠にコメントしているのか分からなく途方にくれてしまいます…。

*1:その唯一の例はGalileo Galilei, Dialogue Concerning the Two World Systems, trans. Stillman Drake (Berkeley: University of California Press, 1953), 192にあります。

*2:Galileo Galilei, Two New Sciences, trans. Stillman Drake (Madison: University of Wisconsin Press, 1974), 142, 260.

*3:Galileo, Two New Sciences, 233.

*4:Maurice A. Finocchiaro, The Galileo Affiar: A Documentary History (Berkeley: University of California Press, 1989), 93より引用。