ガッサンディとコペルニクス説 Bloch, La philosophie de Gassendi

  • La philosophie de Gassendi: nominalisme, matérialisme, et métaphysique (La Haye:  Nijhoff, 1971), 326-334.

 ガッサンディに関する基本書から、彼のコペルニクス説への対応を調べた箇所を読む。恐るべきことに、著書はガッサンディが残した文書のほぼすべてを読みこんでいる。全集の全体はいうに及ばず、ペレスクとの書簡、そして草稿にまで目を通している。

 ガッサンディはキャリアの初期から、一貫して太陽中心説を支持していた。そのことは、彼が1632年2月26日にペレスクに宛てた書簡で、「コペルニクスの見解にしたがって、私は太陽が世界の中心に位置していると考えています」と書いていることからも伺える。そのため、彼は力を尽くして、コペルニクス説の確からしさを説き、それへの反論を逐一斥けていった。しかしコペルニクス説を確からしいとはいえても、それが真理であるとは、ガッサンディは断定できなかった。それは聖書に反するという疑いがあり、実際に、支持者であるガリレオは断罪されていたからである。ガッサンディガリレオに対する断罪の正統性と重要性を可能な限り低く見積もろうとはしているものの、それを無視することは不可能であった。

 最終的に『集成』のなかでは、コペルニクスの見解は確からしいものの、確実性をもって証明されてはいない。そのため、別の仮説を取ることも可能である。特にコペルニクスの仮説に問題を感じる人は、ティコの仮説を採用すればいいだろう、という結論が示されている。

 しかし、この『集成』での最終的な見解は、執筆の最終段階で挿入されたものであった。実際に、1642年に書かれた『エピクロスの生涯と学説』の草稿では、ティコの学説は言及すらされていない。また、1642年から43年に書かれた同書の草稿では、ティコの学説は短く言及されているものの、それを支持することが勧められてはいない。同じことは、49年の『註釈』にもいえる。ここから、ディコの学説を勧めることは、信仰が説く地球中心説と、理性が説く太陽中心説の併存を認め、二重真理説に陥ってしまうことを避けようとするガッサンディの苦肉の策であったと、著者は結論づけている。

 この主題に関していえることは、ほぼこの内容で尽きているように思われる。それほどに決定的な研究であるという印象を与える。