カドワースとスカリゲル

 ライプニッツがどうして形成的力能という概念をスカリゲルに帰したのかを考えています.スカリゲルも確かに「形成的」という言葉を用いていることが最近の調査で分かりました.しかし,その概念が大きく取り上げられているわけではありません.ライプニッツが「スカリゲルがいうかのもっとも賢い形成的力能」とまでいうにはソースとして弱い感じがします.つまりライプニッツはスカリゲルを直接読んだのではなく,何か別の書物を読んでスカリゲルと形成的力能の説を結びつけたのではないか?

 というわけで,とりあえずライプニッツのソースはスカリゲル以外にあるのではないかと考えて,今日はカドワースの『宇宙の真なる知的体系』にスカリゲルが使われているかどうかを確認しました.スカリゲルという名前は3度登場するものの,すべて息子の方だということが分かりました.というわけでライプニッツのソースはカドワースではありません.

 次にゼンネルトのEpitomeを見ました.彼は第5五元素に関するスカリゲルの教説を述べた後に,それをplastic principleと言い換えています.これがあやしいといえばあやしい.しかしゼンネルトとてスカリゲルが形成的力能の説を唱えたとはっきり書いているわけではありません.だからこれもまだ決定的とは言い切れない.ところで,ゼンネルト自身は実はシェキウスの形成的ロゴスの説には大反対なので,この辺も歴史のあやでしょう.

 あとどうしても見ないといけないものとしては,ヘンリー・モアとボイルがあります.

 形成的自然,力能力については以下の三つが基本なのでしょうかね.

  • William B. Hunter, JR. “The Seventeenth Century Doctrine of Plastic Nature,” Harvard Theological Review 43 (1950): 197-213.
  • Hiro Hirai, “The Invisible Hand of God in Seeds: Jacob Schegk’s Theory of Plastic Faculty,” Early Science and Medicine 12 (2007): 377-404.
  • Pauline Phemister and Justin Smith, “Leibniz and the Cambridge Platonists and the Debate over Plastic Natures,” in Leibniz’s Philosophy and the English-Speaking World, Pauline Phemister and Stuart Brown (Dordrecht: Springer, 2007), **-**.

 最後のものはまだ見ていません.

 あと

  • Vivian C. Hopkins, "Emerson and Cudworth: Plastic Nature and Transcendental Art," American Literature 23 (1951): 80-98.

というのもあります.これは哲学史的な視点はないのですけど.