ゼンネルト、ライプニッツと灰より現れる植物 Blank, "Sennert and Leibniz on Animate Atoms"

  • 「ゼンネルトとライプニッツにおける生きている原子」Andreas Blank, "Sennert and Leibniz on Animate Atoms," in Biomedical Ontology and the Metaphysics of Composite Substances 1540–1670 (Munich: Philosophia, 2010), 189–205 = in Machines of Nature and Corporeal Substances in Leibniz, ed. Justin E. H. Smith and Ohad Nachtomy (Dordrecht: Springer, 2011), 115–30.

 昨日取り上げたArthurの論文はゼンネルトとライプニッツの共通性を強調するものでした。今日取り上げるBlankの論考は対照的に両者の相違に焦点を当てたものです。ゼンネルトによれば、霊魂から発する能力というのは身体という質料において発現します。言い方をかえれば、このような能力が発現するような条件が整った身体を有していなければ、霊魂は機能しません。このためゼンネルトは霊魂が宿る原子があまりに小さくなると、霊魂はその機能を発揮できなくなり消滅すると考えました。

 これに対して初期ライプニッツの精神というのは身体を通して得られた感覚印象を比較するものです。そのため精神が働きかけるのは(感覚印象を持った)自分自身です。この意味で精神のはたらきは自己完結しています。この自己自身にはたらき続けるという性質がゆえに、精神は破壊されることはなく、またそのはたらきが自己完結して質料のあり方に依存しないがゆえに、どんな大きさの質料にも結びつくことができます。

 ここから両者はある特殊な現象に対して異なった態度を示すようになるとBlankは言います。それはジョゼフ・デュシェーヌ(1536–1609)というパラケルスス派医師がポーランドから来た医師の話として記録した現象です。興味深いものなので当該箇所を訳出します。

彼[ポーランドから来た医師]は、[…]きわめて見事に、また哲学的に、どんな植物であってもそのあらゆる部位から灰を用意する術を知っていた。それは植物の全部分が持つティンクトゥラと印象とをあますところなく備えていた。また彼はそれら植物の部分のあらゆる活動を生み出すところの精気を非常に巧妙に保存する術を知っていた。そのため彼はそのようにして灰から人工的につくられた植物を30以上所持しており、それら様々な植物をヘルメス的な印章で封印されたガラス瓶に入れていた。[…]その瓶の下部をランプの火に近づけると、その非常に微細で触知できない灰が一定程度熱くなり、バラの明瞭なイメージ(species)を放出しはじめる。それは次第に大きくなり活気づけられて、茎、葉がはっきりと形をとり、続いて一対のきれいなバラの花が影を落とし形をとりはじめ、最後には非常に形の整ったバラが生み出されることが見ている人には明らかであったという[…]。だがこの小さな影のような形は、瓶が火から離されると、また灰へと戻り、姿を失っておのれの元来の混沌とした状態を取り戻した*1

 これはパリンゲネシスと呼ばれた現象で、デュシェーヌの報告によって当時知られるようになっていました。

 この灰の状態についてゼンネルトとライプニッツの意見は異なっていたとBlankは主張しています。ゼンネルトは、火を近づけられると植物のイメージを映し出すような特殊作用者がこの灰のなかにいると考えました。これはかつては植物に属していたため植物の像を生み出すことができるものの、植物の霊魂自体ではありません。これに対してライプニッツは灰の中には植物の霊魂自体があるのだと主張しました。

 ここからBlankの主張は怪しくなってきます。ゼンネルトにとって灰の中で映像を写し出す作用者は精気である。精気は物質的なので霊魂ではない。なぜ灰のなかには霊魂が残れないのか。これはゼンネルトが一定以上細分化された質料には霊魂は残っていられないと考えたからだ(灰は小さすぎる)。これに対してライプニッツにとっては霊魂は質料の大きさとは関係なく存在できるので、灰の中にあるのも霊魂自体である。したがってこの現象の解釈の違いは、ゼンネルトとライプニッツの霊魂観の違いの反映であるとされます。

 最後の部分は極めて怪しいです(なぜたかだか形相の運搬者に過ぎない精気が像を生み出すような特殊な作用を引き起こせるのか)。また論文末尾にあるリチェティとゼンネルトの相違に関する見解も、ヒロさんの論文をしっかり読んでいないため的外れなものとなっています(形相の潜伏の問題について、両者の見解はそれほどクリアカットに分けられないはず)。それでもこの記事の最初に書いたゼンネルトについての分析からは学ぶものがあります。

*1:テキストはこちら