- 作者: Justin E. H. Smith
- 出版社/メーカー: Cambridge University Press
- 発売日: 2006/05/22
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- 「ゼンネルトとライプニッツにおける動物発生と実体」Richard T. W. Arthur, "Animal Generation and Substance in Sennert and Leibniz," in The Problem of Animal Generation in Early Modern Philosophy, ed. Justin E. H. Smith (Cambridge: Cambridge University Press, 2006), 147–74.
ライプニッツの学説をゼンネルトとガッサンディのそれと比較することで、ライプニッツの実体論に新しい光を当てようとする論考です。すでに以前の記事で書いたとおり、ゼンネルトにとってすべての原子はそれぞれ形相を持つものでした。そのような形相は世界のはじまりに神によって創造されたあとは、決して新たに創造されることはなく、ただ自己増殖を続けています。発生と呼ばれている現象は、形相(この場合は霊魂)の自己増殖の瞬間のことです。人間霊魂すら自己増殖プロセスのただなかにあります。またそれぞれの動植物のなかにはこれらの形相が複数併存しているとされます。頂点にある動植物の実態形相(霊魂)が身体の部位を形づくっているその他の従属的形相をしたがえるという、形相の階層構造が認められます。
このゼンネルトの見解は霊魂がある個体からある個体へ伝達する転生説を支持しており、それゆえ動物の霊魂まで不死のものとしているという批判が同時代人から寄せられていました。ゼンネルトより少しあとの原子論者であるガッサンディは、ゼンネルトとは異なり動植物の霊魂というのは非常に微細で活発に動く原子であるという解釈を提出しました。これにより動植物の霊魂が不死である可能性はなくなります。この霊魂は質料の花(flos materiae)と呼ばれました。このような動植物霊魂の役割を果たす原子(の集合)は創造のさいに神につくられ、世界にばらまかれてたとされました。
そこでライプニッツです。彼は1666年から78年あたりまでは原子論を支持していました。1671年の論考では、霊魂(精神)というのは数学的点のなかに含まれていて、この数学的点が物理的な点(原子)によって含まれているとされています。まず霊魂が数学的点であるということは、それが自己増殖できることを意味します。三角形の1つの点から向かい合う辺に直線を引くと、2つの三角形が出来ます。この時その頂点はかつては1つの三角形の頂点で、今では2つの三角形の頂点です。このように数学的点であることによって霊魂は増殖が可能だと考えられます。この霊魂はまた運動しようとするやる気に満ち満ちていて、これが原子の集合ががっちりと結びついて一体的事物を形成することを可能にしています。さらにこの霊魂を含む物理的点としての原子が実体の花(flos substantiae)と呼ばれている点は、ガッサンディの理論がライプニッツの背後にあることを示唆しています。
しかし78年以降ライプニッツは原子論を放棄します。これは彼が霊魂を数学的点として理解するのをやめ、さらに霊魂にある運動への傾向性から物体の個体性を説明することは不可能だという結論に達したからだとされます。代わりに登場したのが実体形相を有する有機体の理論です。自然というのはその段階を切りだしてみても、生きた有機体である。生成というのは微小な有機体が展開して大きくなることで、消滅というのは大きな有機体が小さな有機体へと移行することである。したがって世界には原初における神の創造こそあるものの、その後の生成消滅というものはなく、あるのは有機体の変成(transformation)だけである。こういう理論です。さらにこの有機体は入れ子状の構造をしていて、ある有機体の中には別の有機体がいっぱい含まれていて、その下位の有機体の中には別の有機体が・・・という連鎖が永久に続くことになっています。
以上のようなライプニッツの理論はゼンネルトやガッサンディの理論と多くの共通点を持っています。形相の起源というのは創造に遡るという点(ゼンネルト、ガッサンディ、ライプニッツ)。それが自己増殖するという点(ゼンネルト、初期ライプニッツ)。それが原初から常に存在し続けているという点(ガッサンディ、後期ライプニッツ)。非物質的な形相(霊魂)が自然の事物の活動をつかさどっているという点(ゼンネルト、後期ライプニッツ)。その形相が階層構造を取るという点(ゼンネルト、後期ライプニッツ)。そしてそれが単独では存在せず、常に何らかの質料に宿っているという点(ゼンネルト、ガッサンディ、ライプニッツ)です。
ここからライプニッツのモナド論についてこれまで見逃されてきた点が見えてくるとArthurは主張します。ライプニッツ学者のあいだでは、少なくとも後期のライプニッツは実体が物質的であるという立場から離れて、非物質的一元論へと移行したとされています。そこでは非物質的なモナドが世界の唯一の構成物とされました。しかしライプニッツがゼンネルトやがっサンディと同じく、形相は決して質料と独立に存在しないという考えを引き継いでいたことは、このモナド観に修正を迫るものになるとされます。つまりモナドというのはたしかに非物質的だけれど、つねにそれは質料と結合して有機体を形成しているということになります。