混交研究その20 - ゼンネルトとバッソン

 ゼンネルトが1619年に『一致と不一致』の初版を出したときは、まだバッソンの著作は出版されていなかった。その後ゼンネルトが『Hypomnemata』を1636年に出版した時には、すでにバッソンの著作が出版されており、ゼンネルトはそれを読んでいた。その結果Hypomnemataでのゼンネルトの混交論は大きくバッソンに依存することになった。たとえばフェルネルへの言及や、1619年にはなかったスカリゲル解釈の仕方など。

 うーん、『Hypomnemata』を今日まで確認していなかったのはまずかった。今からこの点を検討して発表までに原稿に盛り込むのは無理かな。

 しかしこのあたりの影響関係の細部ということになると、先行研究が限りなくいい加減であることがわかります。