キリスト教哲学者による異教の韻文解釈

  • 伊藤博明「詩と哲学 地中海文化圏からの視座」『岩波講座 哲学14 哲学史の哲学』岩波書店、2009年、197-230頁。

 キリスト教哲学者たちが古代の韻文作品に対してどのように神学的意味を読み込んだのかを解説した論文です。時代的には古代アレクサンドリアでのアレゴリー解釈の伝統からはじまり、ヴィーコにまでたどり着きます。注も充実しており勉強になりました。

 キリスト教的な読解が施された異教の韻文作品といえば、やはりウェルギリウスの『アエネイス』がその筆頭に来ます。たとえば12世紀に活動したベルナルドゥス・シルヴェストリスは「アンキセス[アエネイアスの父]は天井に住む者と解釈され、われわれは彼のことを万物を支配する万物の王と理解する」と書いています。またサルターティは『アエネイス』のある言葉について「もし敬虔に解釈するならば、それは神の権能の秘密について、すなわち本質の一性と位格の多様さに関する言明である」としています。

 しかしこの論文でもっとも衝撃的なのはオウィディウスの『変身物語』に対して、アレゴリー解釈を加えた作品に見られる一節です。古代の神話によれば、狩人アクタイオンは女神の入浴姿を目撃してしまったため、女神の怒りをかい鹿に変えられてしまいます。その結果彼は自らの猟犬に食い殺されます。中世で行われたあるアレゴリー解釈によれば、この狩人アクタイオンはイエスです。その死については次のように言われます。

聖なる神の子は、われわれを救うために天の高みから地上に降りてきたが、犬どもであるユダヤ人が、主人である神をないがしろにし、彼を吊り上げて十字架にかけた。

 アクタイオンの神話は後にブルーノによってもまったく別な形のキリスト教的解釈を与えられています。このことからも『変身物語』のなかでとりわけキリスト教神学と深く結びつけられた箇所であったと言えそうです。

岩波講座 哲学〈14〉哲学史の哲学

岩波講座 哲学〈14〉哲学史の哲学