永遠哲学の伝統 Schmitt, "Perennial Philosophy"

Studies in Renaissance Philosophy and Science (Variorum Collected Studies)

Studies in Renaissance Philosophy and Science (Variorum Collected Studies)

  • Charles B. Schmitt, “Perennial Philosophy from Agostino Steuco to Leibniz,” Journal of the History of Ideas 27 (1966): 505–32 [repr. Schmitt, Studies in Renaissance Philosophy and Science (London: Variorum, 1981), article I].

 「永遠哲学 philosophia perennis」という言葉は、今日[1966年]ではライプニッツにまで遡ると一般にはみなされている。しかし実際にはこの言葉はライプニッツが創始したのではない。この言葉が現れるのは、アゴスティノ・ステウコの『永遠哲学について De philosophia perenni』(1540年)という著作である。さらに言葉の使用はステウコが最初でも、この言葉によって含意されていた内容は、すでにフィチーノとピコによって表明されていた。フィチーノプラトン哲学を奉じた。しかし彼はプラトン以前に、モーセにまで遡る知の伝承過程が存在すると考えていた。モーセからゾロアスターやヘルメス・ギストスといった「古代神学者」を経て、プラトンにおいて哲学は頂点に達するという観点である。ピコも同じように古代神学の伝統を信じていた。しかもさらにあらゆる哲学の学派は真理に何らかの貢献をすることができると論じ、たとえばアリストテレスプラトンの調和を説いていた。

 古代神学の観念と、哲学的シンクレティズムは、その後の著者にも継承されていく。Symphorien Champierやフランチェスコ・ジョルジョがその代表である。しかしなかでも重要なのがステウコであった。ここにおいて永遠哲学という言葉が現れる。永遠哲学とはステウコにとって、人類のはじまりから現代にいたるまで常に絶えることなく存在している智慧のことである。この智慧キリスト教的なものであり、それはヘルメス・トリスメギストスを経由してプラトンに伝えられた。そのためプラトンプラトン主義者の著作には、キリスト教への近さを見て取ることができる。これに対してアリストテレスプラトンほどには重視されるべきではない。このプラトンを中心とする古代より続く哲学伝統に接することで、人間は理性によって神の観想にいたることができるわけである。

 ステウコの著作は批判を招いた。同じ内容を持った別の著作(Cosmopoeia)が1583年と1596年に禁書目録に載せられた。イエズス会士のベニト・ペレイラやデニス・ペタウィウスは、古代哲学とキリスト教を一致させようとするステウコの試みを批判した。ユダヤキリスト教の伝統は、異教の古代神学とは相容れない。同種の批判はGiambattista Crispo of GallipoliやGerardus Johannes Vossius、リチャード・シモン、Johannes Matthaeus Gesnerによってなされている。

 一方でステウコを支持する人物も現れた。ギヨーム・ポステルや、Jacques Charpentierは自分たちのシンクレティックな著作のなかでステウコを引用している。ユリウス・カエサル・スカリゲルもまたステウコを尊敬する旨を述べている。Paul Scalichiusはピコに共感しながら、ステウコ『永遠哲学について』から長い節を借用している。Muzio Pansaの『異教とキリスト教哲学の接吻ないしは一致』(1601年)は、古代以降の広範な諸伝統とキリスト教の一致を説くもので、そこでもステウコが重要な先駆者となっている。このような異教の諸伝統や哲学の諸学派の調和を図ろうという動きは、プロテスタント圏で顕著であった。またステウコの著作はイングランドでとりわけ関心を集めた形跡がある。このような伝統のうちにライプニッツは現れるのである。『永遠哲学について』を読んでいた彼は、古代より変わることなくある叡智の伝統を「永遠哲学」と呼んだのであった。