- 「アリストテレスの目的論は人間中心的か?」David Sedley, "Is Aristotle's Teleology Anthropocentric?" Phronesis 36 (1991): 179-96.
アリストテレスの目的論が宇宙論的なスケールの下で構想されていたと主張する論文です。この解釈に対しては、アリストテレスは個物が形相を現実態化させるという範囲を超えて、世界や自然全体に目的性を導入してはいないという異論が数多く出されています。この手の批判には一定の説得力があります。ただ批判を完全なものとするためには『形而上学』にある次の文章に対して、世界に行き渡る目的性を読み込まないというかなり厳しい解釈を行わなければなりません。
しかし、さらに検討されねばならないのは、善ないし最高善なるものが全体の自然[実在する世界のすべて]に対して次のどちらの関係にあるか。すなわち
それはなんらか[世界のすべてから]離れて独立にそれ自体で存在しているのであろうか。それとも[世界のすべてに内在する]秩序なのであろうか、という問題である。
あるいはむしろ、これらのどちらでもあるのではなかろうか。たとえば軍隊においてのように。すなわちそこでは、その軍隊の善さはその秩序にもあるが、また[その上に立つ]指揮官も善でなくてはならないから。
ただしそこでは、善はより多く指揮官の側にある。なぜなら、指揮官はその軍隊の秩序に依って存するのではなく、かえって指揮官[の善]に依ってその秩序の[善さ]が存するのであるから。
そして、すべてのものは、泳ぐ魚でも飛ぶ鳥でも植物でも、同様の仕方ではないにせよ、とにかくなんらかの仕方で共同的に秩序づけられている。これらすべては、それぞれ他とは無関係に存在するようなものではなくて、たがいに何らかの関係をもっている。
それは、或る一つのものに向けてすべてが共同的に秩序づけられているからである。
関連文献として以下のものがあります(建設中;英語以外の言語で書かれた研究について情報求む)。
- J. H. Randall, Aristotle (New York, Columbia University Press, 1960).
- M. Nussbaum, Aristotle's De motu animalium (Princeton: Princeton University Press, 1978).
- A. Gotthelf, "Aristotle's Conception of Final Causality," in Philosophical Issues in Aristotle's Biology, ed. A. Gotthelf and J. G. Lennoux (Cambridge: Cambridge University Press, 1987), 204-42.
- Robert Wardy, "Aristotelian Rainfall or the Lore of Averages," Phronesis 38 (1993): 18-30.
- John Cooper, "Aristotle's Natural Teleology," Language and Logos, ed. M. Schofield and M. Nussbaum (Cambridge: Cambridge University Press, 1982), 197-222.
- David Furley, "The Rainfall Example in Physics ii 8," in Aristotle on Nature and Living Things, ed. A. Gotthelf (Pittsburg: Mathesis Publications, 1985), 177-82.
- J. Owens, "The Teleology of Nature," Monist 52 (1968): 159-73.
- G. E. R. Lloyd, "Science and Morality in Greco-Roman Antiquity," in Methods and Problems in Ancient Science (Cambridge: Cambridge University Press, 1991), 352-71.
- C. H. Kahn, "The Place of the Prime Mover in Aristotle's Teleology," in Gotthelf, Aristotle on Nature, 183-205.
- J. M. Rist, "Some Aspects of Aristotelian Teleology," Transactions and Proceedings of the American Philological Association 96 (1965): 337-49.