金山、「自然科学、哲学、国際主義」

地域研究〈Vol10 No.2〉

地域研究〈Vol10 No.2〉

  • 金山浩司、「自然科学、哲学、国際主義 エルネスト・コーリマンの生涯をめぐって」、『地域研究 地域に内在し世界を構想する』、vol. 10, no. 2、57-70頁。

 プラハ出身のユダヤ人であるエルネスト・コーリマンという、ソ連の科学アカデミーで自然科学史・技術史研究所の研究員を務めた人物の経歴を紹介する論文です。

 媒体の性質上それほど厳密な論理にしたがって書かれているわけではないのですが、著者がこの論考を通じて主張したい論点の一つに次のものがあるでしょう。

コーリマンの科学史・科学哲学分野での多くの作品を、その歴史的文脈のもとで、白か黒かという二分法に基づくのではなく評価すること、ひいてはマルクス主義と自然科学の相互関係に関し歴史的・哲学的考察を加えること、こうしたことは未だ十分なされていない。今後を待つべき課題である。

 ソ連でのマルクス主義を理解するためには、それと自然科学との関係を考察する必要があるという著者年来の主張が込められています。この主張は、当時のソ連の代表的哲学雑誌の編集員のうち「8人中3人は自然科学を背景とするものであ」ったという事実からも是認できるものです。

 金山さんはこの論文で扱われているコーリマンが、最終的にソ連社会主義体制の批判へ向かったことについても、彼が持っていた自然科学の素養を考慮する必要があると述べています。

彼[コーリマン]の知的変遷の理由を探るにあたっては、コーリマンがその生涯の多くの時間を費やして考察した、自然科学およびマルクス主義の内在的論理・その性格に着目せざるを得ない。

 ただ紙幅の関係もあってか、この主張を支える論拠が明確に書かれていないように私には思われました。例えば次のような記述があります。

先述したように、コーリマンにはサイバネティクスを「救った」功績があるが、これを成し遂げることができたのには、彼が自然科学と数学というそれ自体の評価基準・価値基準をもつ分野を基本的な自らのフィールドとしておりその内的論理に親しんでいたこと、それゆえに、少なくともこうした分野においては教条主義イデオロギーあるいは党の指令に対して忠実一辺倒の思考形態から相当程度解放されていた、ということが大きく働いていたであろう。このことから社会問題に対する柔軟かつ自主的な思考まではあと一歩である。

 しかし先述した主張を裏付ける事例研究となるためには、まさにこの「あと一歩」を史料に基づいて解明しなければならないように思います。もしかするとそれは金山さんが昨年度提出した博士論文で既になされているのかもしれませんが。

 いずれにせよ、気合の入ったソ連研究が並ぶ特集号の中の一本です。他の収録作品とも合わせて是非ご一読を。